イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

和泉式部、エロティシズムがスピリチュアリティーに変わるとき

 
ものおもへば  沢の蛍もわが身より  あくがれいづる魂かとぞみる
 
 
  今日から七月です。夏がこれから本格的に始まろうとしていますが、平安時代の貴族たちは、言葉のうちで涼しさを感じとるということのうちに、喜びを見いだしてやまない人びとでした。けっして過ごしやすくはない季節だからこそ、あえて月や夜といったものについて語りつづけることで、まとわりついてくる暮らしにくさを、やんわりとかわそうとしたわけです。ヴァーチャルな領域にぞくする言葉の力がもつ重要性について、彼らはとても深い認識を持っていました。
 
 
  彼らは、おそらく今の時代を生きている私たち以上に、恋愛の体験においても、言葉のやりとりを大切にしていました。彼らは、一度も見たことさえない相手に、手紙によって愛の告白を行うこともしばしばでした。平安の時代の貴族たちはそうやって、「恋は、わたしとあなたの関係にかかわるという以上に、わたしと言語の関係にかかわる」という真理を、みずからの身をもって生きぬいたのです。
 
 
  上に挙げたのは、和泉式部という人の歌です。この人はまさしく、恋をするために生まれてきたような女性でした。彼女の和歌のうちには、相手のほうにむかってゆくパトスが常にみなぎっています。けれどもそれは、素直になって、相手にすべてを投げだすといったものではまったくありません。そんなことをするならば、恋においては、すべてが駄目になってしまう。「わたしはあなたを愛しています」というメッセージを送りながら、それと同時に、相手にはけっして見せない秘密の部分を確保しておくのが恋のやりとりの要だというのは、よく言われることです。和泉式部の歌には、恋の秘密がもたらすエクスタシーが濃密に絡みついている。このエクスタシーは、言葉のうちに秘められているぶん、よりいっそうエロティックなものになりえています。
 
 
和泉式部
 
 
  「もの思いにふけりながら見ていると、沢で飛んでいる蛍も、わたしの内から憧れでてきた魂ではないかと思えてしまう。」もの思いとは、ここではもちろん、相手のことを想う気持ちのことをいいます。この歌のエッセンスは、憑きもののように取りついている情動が、そのあまりの押しとどめがたさに、自分の内から外へと出ていってしまう情景を幻視するところにあります。「蛍のように憧れでる」という言葉は、通常の意識のレヴェルにとどまっているかぎり、けっして出てくることのできないものです。和泉式部はここで、まるで古代の巫女のように、意識をシャーマニックな水準にまで沈みこませています。その領域においては、内と外との境界がなくなり、魂のエネルギーは、世界そのものともはや見分けがつかなくなる。彼女はここで、恋のうちにはらまれている狂気によって脱魂状態におちいってゆく自分自身を、静かに眺めているのです。
 
 
  恋がもはやスピリチュアルとしか言いようのないものにまで昇華されてゆくのも、この瞬間にほかなりません。魂(タマ)とは、人やもののうちを流れてゆく、精神的なエネルギーのことです。相手を想う気持ちが、肉的なものを超えて霊的なもののレヴェルにまで高まってしまう瞬間を、この歌はきわめて鮮明に捉えています。スピリチュアルとか霊的という言葉を持ちだすと、いぶかしくお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。けれども、宗教家だけでなく、文学者や芸術家のうちにもこの次元の存在を感じとってしまう人たちがいるということもまた、否定することのできない事実です。人類は歴史の流れのうちで、このスピリチュアルな領域とのつながりを、つねに保ちつづけてきました。現代においても、たとえばマルティン・ハイデッガーの思考を取りまいている宗教的な雰囲気に触れていると、どうも21世紀の哲学もまた、スピリチュアルなものには少なくとも何らかの形でかかわらざるをえないのではないかという気がしてきます。エロティックなものがスピリチュアルなものの内へと流れこんでゆくモメントを芸術のうちに結晶させているこの歌は、近代という時代にひと区切りがついたことを感じとっている今の私たちにも、示唆するところが大きいといえるのかもしれません。
 
 
  とはいえ、そうした理論的な話は置いておくにしても、つよく印象に残る歌です。作者の和泉式部に、会ってみたいような、みたくないような……。僕は今までに一度だけ、彼女のことを連想させる人に会ったことがあります。とても魅力的な女性でしたが、美術大学に通っていた彼女のまわりには、なにか底しれない雰囲気がただよっていました。あとから聞いてみると、案の定、ものすごい恋愛遍歴の持ち主だったようです。
 
 
  和泉式部のような人はきっと、今日も恋の相手を求めて、どこかの街を歩きまわっていることでしょう。何しろ、そういう女性を世に送り出すことにかけては、この国はとても長く豊かな伝統をもっていますから!男性たちは、これから始まる夏の季節には、とくに注意したほうがいいのかもしれませんね。
 
 
 
 
 
 
 
  [つぎの記事は、最近読ませていただいた、はてなブログで歌を詠んでいらっしゃる方のものです。和歌の世界は今やインターネットにも広がっているのだということが、とても印象に残ったので、ここで紹介させていただきます。ちなみに、この方が詠んでいらっしゃるのは、セクシュアリティーの世界とは真逆にある、まだ性に目覚めていない「ぼく」の世界です。初夏のころの清新さを五感で感じとる喜びを、この記事のおかげで味わうことができました。 ]
 

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