イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

憲法について、あまり知られていない話   ー89条後段をめぐって(2)

 
公金その他の公の財産は、公の支配に属しない慈善もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、またはその利用に供してはならない。
日本国憲法第89条(目下の文脈に応じて一部を削除)
 
当初の解釈:  国のお金は、民間団体がおこなう福祉事業に使ってはいけない。
 
 
  日本国憲法成立当初の解釈のままでゆこうとするならば、民間企業がおこなう介護保険事業に国のお金を払っている現在の状況は、憲法に合致しないおそれが出てきてしまいます。私たちは、憲法89条後段をどのように理解すればよいのでしょうか。
 
 
  この問いにたいして、稲垣先生は本のなかで、次のような意味のことをおっしゃっています。この国の歴史において、「公の支配」という言葉は今まで、国の支配のことを意味してきた。しかし、ここで「公」を「公共」と読みなおしてみるのはどうだろうか。なにしろ、この二つの語は、英訳のなかではどちらも同じpublicという語なのだから、この読みなおしはそれほど不自然なものではないはずだ。文言のなかの「公の支配」という言葉を、「公共の支配」と解釈しなおすのだ。「公共」とは、個人と国のあいだに存在する領域のことを意味する。市民たちが自発的に活躍するこの中間領域こそが、これからの社会を支えてゆくものになるはずだ。
 
 
  当初の解釈においては、「公の支配に属さない慈善もしくは博愛の事業」という表現は、「民間団体の福祉事業」と理解されてきました。けれども、この新しい解釈にしたがうなら、この表現は、「公共のものではない福祉事業」と読めることになります。そうなると、89条後段の文言は、次のように解釈することができます。
 
 
新しい解釈:国のお金は、公共のものではない福祉事業に使ってはいけない。
 
 
  これは、逆をいえば、「国のお金は、公共の福祉事業にならば使ってよい」ということを意味しています!
 
 
  こうして、国が介護保険事業を行っている民間企業にたいしてお金を払っている現在の状況を、89条後段に合致させることができました。しかし、それだけではありません。いまや、公共圏という新しい領域が私たちの憲法のなかに開かれることになります。
 
 
  この解釈を押しすすめてゆくためにはもちろん、「公共とは何か」という問いについて、あらためて考えてみる必要があります。稲垣先生は本のなかで、市民たちが国や民間団体とも協力しつつ、自分たちの側でイニシアティブを発揮しながら福祉の問題を解決してゆく「新しい公共」のあり方を、豊富な事例と哲学的な思索をとおして描きだしていらっしゃいます。それは、今までのように国だけに頼るのではない新しい社会のかたちを、「公共」という言葉をとおして考えてみようではないかという提案なのです。
 
 
89条後段
 
 
 公共という言葉は、いちばん簡単にいうなら、「私たちは、家族や友人を大切にしながらも、同時に、より広いところへ開かれてゆくことができる」ということを意味しています。このことは、負担を引き受けることである一方で、前よりもいっそう自由になることでもある。誰かの役に立てるというのは、助ける自分にとってもかけがえのないものをもたらしてくれることだと思います。
 
 
  89条後段を解釈しなおすことから、私たちの社会の未来が見えてくる。まだまだ語り足りませんが、これ以上のことについては、『実践の公共哲学』の本文を、とくに第四章をご参照ください。付録の講演記録のなかでは、この国の未来のかたちにたいしても具体的かつ魅力的な提言がいくつもなされているので、興味のおありになる方は、ぜひ手に取られることをおすすめします。
 
 
  この二日間をもちいて挙げさせていただいた事例については、細部に目を向けるさいには、この記事だけでは説明が足りていないということは否定することができません。けれども、私たちの日本国憲法が、従来のままでは実情に合わない部分が出はじめているということについては、具体的な例をとおして示すことができたと思います。
 
 
  どうやら、日本国憲法そのものについて真剣に問いなおさなければならないときが、いよいよやって来ているようです。守るべきものは守らなければならないし、何とかしてすべての条文をそのままにしておくという選択肢も理論的にはありうるにしろ、将来的には、いま問題になっている9条だけではなく、さまざまな部分を現状に照らしあわせて検討しながら、よいよい国づくりをめざして、憲法の全体を洗いなおしてみる必要があるでしょう。
 
 
 けれども、こうした事態には同時に、ポジティブな面もまた存在しているといえるのではないでしょうか。二日間をかけて検討してみた89条後段のケースは、憲法について考えなおすことが、未来を想像するためのまたとないチャンスにもなりうるということを示しています。だからこそ、今のうちに憲法について、原理的なところからもきちんと考えておきたい。哲学は、よく考えることこそがよい世界を作るのだと教えています!次回は、憲法とは何かという問いのうちに正面から踏みいってゆくことにしたいと思います。
 
 
 
 
 
 
[今回の記事についても、一点補足させていただきます。
 
  現在の憲法学においては、たとえば「公共の福祉」という言葉を解釈する場合にも見られるように、「公共」という言葉がもっている曖昧さがたびたび指摘されています。そのため、たとえ「公の支配」を「公共の支配」と読みかえたとしても、それでは問題は解決しないという立場もありえます。しかし、その一方で、稲垣先生の提示なさっている新しい解釈には、社会そのものの新しいあり方を探っているという点で、捨ててしまうにはあまりにももったいないほどの魅力があると思います。他にも解決案はあるかと思いますが、ここでは、この解釈をひとつの提案として紹介させていただきました。]
 
 
 
(Photo from Tumblr)