イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

9条と現実がぶつかり合う瞬間   ーカンボジアPKOのケース

 1990年代からの自衛隊は、「グローバル安全保障システム」とでも呼びうるような秩序のうちに加わってゆくことになりましたが、ここには、ある原理的な困難がつきまとっていました。それは、武力行使を行うことができない自衛隊員たちには、このシステムの働きに加わるさいに極めて危険な状況に巻きこまれることが起こりうるのみならず、時には任務をこなすことさえも不可能になってしまうことまでありうるという点です。今回の記事は、この困難についての具体的なイメージを掴むために、前回の記事でも参照させていただいた『闘えない軍隊 肥大化する自衛隊の苦悶』(半田滋著)のなかから、1992年からのカンボジア派遣において起こった出来事を紹介させてください。
 
 
 カンボジアにおけるPKO参加のさい、派遣された自衛隊員たちは、道路や橋の補修などといった活動に従事していました。ところが、同じくカンボジアに派遣されていた日本人の警察官がポル・ポト派の武装ゲリラによって殺害された事件をきっかけにして、事態は急変します。隊員たちは、民主化のために行われる総選挙にさいして、日本人を含む選挙監視員たちの安全を確保しなければならないことになりました。
 
 
 ところがこの時、自衛隊員たちは、日本人警護の任務を正式に与えられることがありませんでした。警護の任務においては発砲するなどの武力行使を行う可能性がありますが、自衛隊員がそれを行うことは、9条の規定によって禁止されていたからです。しかし、その一方で日本人たちの命は、何としてでも守らなければならない。
 
 
 現場の自衛隊員たちに非公式に下された指示は、次のようなものだったそうです。名目上は補修した道路や橋の視察を行うということにして、じっさいには実弾入りの小銃をもって投票所の偵察を行う。そして、もしも襲撃が起こったさいには、監視員たちのなかに自衛隊員がみずから飛びこんでいって、自分が襲撃されたということにする。そうすれば、正当防衛を理由にして監視員たちを守ることができるからだ。
 
 
 これは要するに、「人間の盾」になって監視員たちを守れ、という指示に他なりませんでした。日本人の命は、何としてでも守らなければならない。そのために、いざという時には自分が犠牲になる覚悟で飛びこんでゆくのだ。幸運なことに、じっさいの選挙のさいにはそのようなアクシデントは起こりませんでしたが、自衛隊員たちが極度のプレッシャーのもとで任務を行わざるをえなかったということは確かです。じつは、今回の安全保障関連法案においてこの駆けつけ警護が業務に加わることになっていますが、そうなると逆に、この改正は果たして本当に9条で禁じられている攻撃に当たらないのかという疑問が生まれてきます。ここでは、9条の理念と現実が厳しくぶつかり合っているといえそうです。
 
 
カンボジアPKO
 
 
 カンボジアへの派遣以降は、武器の使用基準や条件もつぎつぎに改定されてゆき、イラクのケースなどでは重武装の部隊が派遣されてゆくことにもなりました。自衛隊の海外派遣をめぐる状況は近年においても刻々と変わりつづけていますが、「武力行使を行わない」という規定のもとで部隊を現地に派遣することの矛盾は、現在も消えていません。まだまだ他にも挙げるべき事例は多いのですが、いま挙げたカンボジアのケースによって、海外派遣業務にともなう困難の一端を示すことはできたように思います。次回はこのことを念頭に置きつつ、自衛隊がこれから進んでゆく方向について考えてみることにしましょう。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
〈主要参考文献〉
半田滋『闘えない軍隊 肥大化する自衛隊の苦悶』講談社+α新書、2005年
 
 
 
(Photo from Tumblr)