イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

国家理性と、絶対平和のアノマリー

 
 国家理性という語は私たちのうちの多くの人にはなじみの薄いものかもしれませんが、それにたいして、国益という言葉のほうは広く用いられています。実は、この言葉はもともと、ヨーロッパの言語において、国家理性という語と同一のものでした。他のどんなファクターにもとらわれずに国益を追求するという姿勢は、近代の歴史をとおしてますます洗練されてゆくようになります。
 
 
 18世紀になると、啓蒙専制君主と呼ばれる国王たちが、当時のヨーロッパの後進国に現れはじめます。プロイセンのフリードリヒ大王や、ロシアのエカチェリーナ2世、オーストリアのヨーゼフ2世などがその代表例になりますが、国家理性の歴史という観点からすると、彼らのような存在が歴史の舞台に現れるようになったことは、とても象徴的な出来事でした。
 
 
 彼らはそれぞれ、強権的な手腕をふるいながらも、自分自身の利害ではなく、国家の利益のことを念頭に置きながら行動しました。その点において彼らは、いわば国家理性がそのまま人間のかたちをとったような存在だったといえます。たしかに、フリードリヒ大王やエカチェリーナ2世は、前回みたようなマキャヴェリズムの思想にたいして、激しい非難を加えました。「道徳のことを考えずに、利益だけを求めて政治を行うとは何ごとか!」というわけです。しかし、そのように言っていた当の彼ら自身が行った政策の内実ははたしてどうだったかといえば、これはもう、マキャヴェリズムの体現以外の何ものでもありませんでした。
 
 
 その一方で、彼らの事業が、そののちに国の全体を発展させてゆく土台になったというのも事実です。たとえば、フリードリヒ大王のプロイセンは、彼の治世ののちにもどんどん強大なものへと成長してゆき、最終的にはドイツを統合するまでに至りました。啓蒙専制君主たちの場合には、じっさいの人間が国家理性を体現しているかのように事態が進行しているために、事のなりゆきはとても見えやすいといえますが、話はこれらの君主たちのみにはとどまりませんでした。国家理性というアプリケーションは18世紀よりのち、とくに国民国家という考え方が根づいてゆく19世紀以降には、すべての近代国家によってインストールされ、その後もアップデートされつづけてゆきます。
 
 
 

絶対平和のアノマリー

 
 
 この流れはそのまま、現代の国家にまでつづいています。統計学や国家教育の発展、福祉国家というコンセプトの登場など、この歴史について語るべきことはとても多いのですが、ここではこの辺りにとどめておくことにします。ただ、最後に挙げた福祉国家というトピックにも示されているように、国益を追いもとめつづける国家理性は、ただ単純に悪いものであるというわけでは決してないということについては、強調しておいた方がよいかもしれません。よくも悪くも、私たちが国家理性と縁を切ることは決してできないということなのだと思います。
 
 
 私たちの国も、19世紀の後半からはこの国家理性を取りこんで、ヨーロッパやアメリカ以外の地域においては異例ともいえるほどのスピードで成長してゆきます。太平洋戦争をはさんだあとに起こった戦後の高度経済成長のプロセスは、さまざまな問題もありましたが、ある意味で、国家理性が創りあげた芸術作品ともいえるほどのクオリティーを誇るものでした。最後に、これからの時代の国家理性は、ビッグデータの活用を今以上に洗練させることによって、ますます精密な数量化をほどこしつつ国益を追いもとめてゆくことでしょう。
 
 
 こうしたことを念頭に置いてみるさいには、私たちは、自分たちの国の中心部にセットされている9条の条文が、国家理性の側から見るならばほとんど理解不能のアノマリーとして現れてくるということに気づかされます。「日本国民は、いっさいの戦力を放棄する。」この規定が国益の正反対をゆくものであることは、誰が見ても一目瞭然です!これほどまでに国家理性にとって不都合な条文は、他になかなか思いつくことができません。
 
 
 さて、それでは、現在の状況はどのようになっているのでしょうか。絶対平和のアノマリーである9条は国家理性とのかかわりにおいて、いま大きな局面を迎えつつあります。次回は集団的自衛権の問題をめぐって今起きていることにも少し触れつつ、9条の未来について、いくつかの選択肢を考えてみたいと思います。
 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)