イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

核戦略問題へのイントロダクション   ー9条のディープ・フェーズへ

 
 今回の話題に入ってゆくにあたって、ひとつのエピソードを紹介させてください。
 
 
 1972年5月3日、竹本忠雄という日本人が、パリからそれほど遠くない、ヴィルモラン家所有のヴェリエールの館を訪れました。ヴィルモラン家といえば、ほぼ200年ちかくにわたってフランスの農業界に君臨しつづけていた名門の一族ですが、竹本がこのとき訪れたのは、そのシャトーです。彼はこの館に住んでいる老文学者から、国際情勢と芸術にかんする話を聞くためにやってきたのでした。その文学者の名前は、アンドレ・マルローといいます。
 
 
 アンドレ・マルローは、青年期には仏領インドシナを冒険し、帰国後にいくつもの小説を書き、そののちのスペイン内乱を義勇兵として闘いぬき、第二次世界大戦中のレジスタンス活動のさいにはナチスの処刑を危うく逃れ、その後はなんとド・ゴール将軍の肝いりで文化大臣を務めるという、ほとんど映画のような人生を生きぬいた人です。1972年当時のマルローは、大臣の座も退き、恋仲にあったルイーズ・ド・ヴィルモランの招きによって移ってきたこのヴェリエールの館で、著述にいそしみながら毎日の日々を過ごしていました。
 
 
 館の入口で竹本を迎えいれたマルローの脇には、彼が飼っている黒猫のリュストレちゃんが座りこんでいましたが、それを見た竹本はきっと、「ああ、ちょうどよかった!」と思ったことでしょう。彼は今回、マルローへの手土産として、九谷焼の招き猫を持ってきていたからです。案の定、それを受けとって箱から取りだしたマルローは、大きな喜びの表情をみせます。あたりにはいつの間にか、リュストレちゃん以外の猫たちも集まってきていました。「ほら、おまえたちの友だちが来たぞ!」マルローはお土産の招き猫を彼らに見せながら、嬉しそうに叫びます。当時のフランスを代表するこの作家は、無類の猫好きでもあったのです。
 
 
 時刻は、午後五時ごろでした。玄関にほど近い小部屋に招きいれられた竹本は、その部屋の壁に、シャガールやルオーの名画が無造作にかけられている(!)のを目にすることになりますが、これからの対話のことで緊張している彼には、おそらくそれらの絵画をじっくり眺める余裕はなかったことと思われます。このヨーロッパの事情通から、聞けるかぎりの話は聞いておかなければならない。ウイスキーをもって現れたマルローとともに、竹本はさっそく、当時の世界情勢について話しはじめます。
 
 
核戦略
(写真はアンドレ・マルローの猫、リュストレちゃん) 
 
 
 その当時は、アメリカのニクソン大統領が突然に中国を訪問したことで、世界中が驚きに湧きたっていたところでした。これまであれほど対立していたはずだったのに、なぜ……ニクソン・ショックという言葉まで生まれたこの出来事によって、もっとも泡を食ったのは日本でした。真ん中に立たされている日本をはさんで、アメリカと中国が突然に仲良くなるなんて!当時の日本人たちはみな大きな衝撃を受けていましたが、竹本もそのことで危機感を強めていました。今回の訪問の主要な目的のひとつは、このことについてのマルローの意見を聞くことでもあったのです。
 
 
 しかし、「世界のなかで日本が孤立したらどうなるのでしょうか」と心配する竹本にたいして、マルローはなぜか、とても機嫌がよさそうです。何を言ってるんですか、孤立だなんてとんでもない、ムッシュー!いいですか、選択権はあのニクソンなんかじゃなくあなたがたに、そう、あなたがたにあるんですよ。どうも、ニクソンにはそこのところがよく分かっていないようだ。太平洋の運命の鍵を握っているのは日本だというのにね!そう言われても、竹本には何がなんだか、さっぱりわけがわかりません。ムッシューマルロー、選択権が私たちにあるとはどういうことですか?私たちは、あの毛沢東周恩来ニクソンと突然手を握ってしまったことで、まさに右往左往しているところなのです。選択権も何も、私たちはこの後どうしたらいいのかすらわからない状態でして……
 
 
 上機嫌のマルローから飛びだした言葉は、竹本の想像をはるかに超えるものでした。いやなに、当たり前のことを言っているまでですよ!あの中国はいまや、原爆を持ってしまいました。そのうえ、ニクソンにまでサプライズであんなことをされたわけだから、あなたがたは今や、アメリカにたいする義理を考えなくていい状態にあります。そこであなたがたには今や、願ってもないチャンスが生まれてきたというわけです!チャンス?パルドンムッシューマルロー、何のチャンスですか?何言ってるんですか。決まっているでしょう、原爆を手に入れるチャンスです!おっと、ここからは一応、「オフレコ」でお願いしますよ。いやなに、テープを止める必要はありません……
 
 
 日本ほどの大国が、原爆を持っているあの中国を前にして、「それでも私たちは核を持たない」なんていうのは、まったく幻想的といわざるをえないじゃないですか。そうでしょう?そこでわれわれ(興奮したマルローは今や、日本の立場に立ってしゃべっています)はですね、今やあのアメリカに向かって、こう言ってやることもできるわけです。「できることならアメリカからもらいたいと思っているが、ぐずぐずいうようだったらソ連からもらうまでです」とね。いやなに、ロシア人たちはやる気ですよ。「アメリカの連中から嫌な目にあわされているなら、私どもロシア人が弾頭を提供しますよ」というわけです。だからこそ、世界の運命はいま言われているように、ベルリンなんかでは決まりません。ベルリンではなく、まさしく貴国においてなんですよ!いずれにせよ日本は、原爆を持たずにいることに甘んずるわけにはいきますまい。「このままでけっこう」とは日本は言いますまいよ。日本は馬鹿じゃない……
 
 
アンドレ・マルロー
(写真は、晩年のアンドレ・マルロー) 
 
 
 このエピソードを聞いたとき、おそらく私たちの多くは、戸惑ってしまうのではないかと思います。僕は、最初にこのエピソードを読んだときには、何がなんだかわかりませんでした。アメリカを脅す?ソ連を焚きつける?原爆を持つ……?ここでは、すべてのことがなんだかとても遠い話のようで、まったくリアリティーを感じることができません。けれども、アンドレ・マルローの方でもまた、当時の日本がなぜ独自に核を持とうとしなかったのか、その理由がさっぱり理解できなかったようにみえます。竹本とマルローのあいだに交わされたこの対話は1972年のものであり、それから40年以上の月日がたちましたが、今までのところ、私たちの国は核武装をしていませんし、そのことにたいして疑問を感じている方はあまり多くないと思います。冷戦が終結して以降はとくに、国民たちのあいだでは、核の問題が真剣に取りあげられることは、一部の人びとを除いてほとんどなかったと言ってもいいかもしれません。
 
 
 けれども、今のエピソードからもわかるように、核兵器をめぐって、私たちの世界観とはまったく別の世界観が存在しているということは確かなようです。そして、9条のことを考える時には、この問題はけっして無縁なものではありえないのではないでしょうか。核戦略の問題にまで踏みこんだとき、9条の内容は今でもとてつもなくリアルなものとして私たちの前に現れてくるかもしれない。のちに見ることにしたいと思いますが、今回の集団的自衛権の問題についても、核戦略のレベルにおいて考えたときには、当座のところはとくに危険がないとしても、長期的にみるときわめて大きな結果をもたらす可能性についてはけっして否定できないと思います。
 
 
 最初にお断りさせていただきますが、僕はもちろん、核兵器の使用には絶対反対です!それから、僕はアンドレ・マルローのことをとても尊敬していますが、この点についてはマルローがなんと言おうとも、私たちの国は核兵器を持たないほうがいいと考えています。そのうえで、9条をとおして21世紀の戦争と平和について考えるために、これからの数回では、核戦略問題を取りあつかってみることにしたいと思います。少しダークな話になってしまうかもしれませんが、世界平和をめざして、勇気を出してこの領域に踏みいってみることにします!知りたいような知りたくないようなという、複雑な気持ちではありますが……
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
[今回の記事は、竹本忠雄『マルローとの対話』(人文書院、1996年)の「第二の対話」の内容を、ここでの目的に合うようなかたちで再構成しつつ紹介させていただきました。
 
 それから、ここ数日のあいだ核戦略の問題について書いているうちに、僕は、「集団的自衛権の問題については議論の余地があるにしても、9条については、現実問題からみても理念からしても、やはり条文を残したほうがよいのではないか」と思うようになりました。記事の中ではなるべくものの見方を強制せずに一つの考え方を提示して、読んでくださる方の議論のきっかけになることを目指したいと思いますが、少なくとも中立の立場ではなくなってしまったので、今のうちにお断りさせていただきます。
 
 また、ブログにコメントしてくださった方には直接返信させていただいていますが、ブックマークの方にいただいているコメントからも、考えるための貴重なきっかけをいただいています。この場を借りてお礼の言葉を述べさせていただきます。長くなってしまっているのにもかかわらず読んでくださって、ありがとうございます!いただいたコメントについては、じっくり考えさせていただくことにしたいと思います。]
 
 
 
 (Photo from Tumblr)