イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

罵詈雑言のシンフォニー   ー『アウトレイジ』の美学をさぐる

 
 「全員悪人。」先月、この映画を近所のゲオで借りてきて観て以来、ずっとどこかで書こうと思っていたのですが、これまでタイミングが見つかりませんでした。北野武監督のスマッシュ・ヒット作、『アウトレイジ』を紹介させていただきます。僕は、普段はバイオレンスものが苦手な方なのですが、この作品についてはなぜか気になって、つい見てしまいました。
 
 
 まずは、ストーリーとゆきたいところなのですが、山王組・池元組・村瀬組という三つの組が、上下関係と対立関係を交えつつきわめて複雑に絡みあいながら進んでゆくこの作品のプロットは、文章で書くとあまりにも難解なものになってしまうので、ここでは省略させていただくことにします。「一度火がついた闘争が雪だるま式に際限なく加速しつづけてゆく、ウルトラ・バイオレンス・クライムアクション・エンターテインメントである」というところさえ押さえておけば、ここでの用は足りるかと思います。
 
 
 これは、すさまじい映画でした。作品の全体をとおして、血で血を洗うバトルがただ淡々と、しかし着実にヒートアップしてゆくという印象です。もちろん、感動シーンは全くありません。気がつくと、ビートたけし椎名桔平が属する池元組サイドは、グバナン共和国なる辺境国の大使を務める黒人を脅迫して、無理やり裏カジノを経営させる(!)ほどの大組織に成長しており、彼ら主人公たちは、次から次へと危険な商売に手をつっこんでゆきます。しかし、そこで動くお金が巨大なものになればなるほど、外部からも内部からも、それを狙う者が増えてゆくことは避けられません。
 
 
 映画の後半からは、もはや裏切りにつぐ裏切り、バイオレンスにつぐバイオレンス、下克上につぐ下克上しか起こらなくなっており、銭湯のサウナの中ではめちゃくちゃに派手な発泡事件が起こり、組長の一人は河川敷に埋められ、主人公たちの会合場所だった店は手榴弾を投げこまれて爆発し、事務所も徹底的な襲撃によって完全に崩壊し、ほぼ全員の登場人物が死ぬという、まことに凄惨なラストまで、一直線にストーリーが展開されてゆきます。SFXでは出せないタイプのスピード感を味わわせずにはいられない映画でしたが……あまりにも恐すぎな感は否めませんでした!ぶるぶる……。
 
 
 その一方で、この映画のうちには暴力と恐怖だけではなく、打ち消すことのできない美もあるということは、確かなようです。今回の記事の残りでは、映画のなかでも最も人気のあるシーンのひとつ、村瀬組の若頭が部下の失態のことで池元組サイドに謝罪にやって来た場面を取りあげつつ、この映画の特質について簡潔に論じてみたいと思います。最後のあたりは公共放送の倫理基準をおそらくほんの少しだけ踏みこえてしまうので、バイオレンスが苦手な方はご注意ください!
 
 
 
 
 
 
 数えてみたところ、二分間あまりの場面のあいだに、計14回も「この野郎」という言葉が使われていました。このシーンにおいて典型的に見られるように、『アウトレイジ』の全体が、「馬鹿野郎」と「この野郎」というセリフによって埋めつくされています。まるで、一つの交響曲のなかでたえず繰り返されるモチーフのように、「この野郎」のリフレインは『アウトレイジ』の核心をなしているのではないか。ここで連想される最も有名なケースはやはり、ベートーヴェンの第五交響曲、『運命』であるように思います。
 
 
 ベートーヴェンはこの作品のなかで、きわめて単純な四つの音からなるモチーフを、丹念に、そして執拗なまでの情熱をもって育てあげています。「運命がドアを叩くさいの音」とも言われるあのモチーフは、さまざまに形を変えて、楽曲のいたるところで鳴り響きます。本当に優れた思想家や芸術家は、どうやら次のように考えるようです。「いたずらに難解な装飾によってみずからの成果を飾り立てることではなく、シンプリシティーの極みであるといえるようなモチーフをじっくりと煮つめてゆくことこそが、私に課せられた真の仕事だ。」
 
 
 たとえば、フルトヴェングラーは自らの著書のなかで、ベートーヴェンの第五交響曲がじっさいに作られていった過程について触れながら、この点について詳細に論じています。『アウトレイジ』の場合はどうかといえば、すでに見たように、「この野郎」の叫びこそが、監督の北野武さんが選びとったモチーフに他なりませんでした。
 
 
 あらゆる芸術は、モチーフを永遠なものに昇華させようと試みます。地上的なモチーフが、滅びゆく運命からついに免れて、もはや決して消えさることのないあの天上の領域まで飛びたってゆくことができるかどうか。旅の結末を知るためにはもちろん、『アウトレイジ』という交響曲の全体を眺めてみなければならないでしょう。僕個人としては、「この野郎」の叫び声が、この地上からはるか遠く離れたところ、天使たちすらもが足を踏み入れるのを畏れる領域で鳴り響くのを聴いたように思いました。願わくは、聴き違いでないことを祈ります。
 
 
 最後に、音楽的なセンスということでいえば、椎名桔平さんのセリフ回しが特に輝いているように感じられました!ここで取りあげたシーンでも、彼が演じる水野の罵倒ぶりは光っていますね。シーンを締めくくるのは、やはりというか、ビートたけしさんの「この野郎」ですが……。それにしても、それまでずっと不敵に笑いながら黙っていて、最後の「この野郎」で締めるあたり、やはり北野武監督のセンスはずば抜けているといわざるをえないようです。映画にはさまざまなタイプがありますが、画面を絵に仕上げるスキルもさることながら、真に音楽的な映画を作ることのできる稀有な人だと思います。
 
 
 
 
 
[いちおう、予告編もつけておきます。]