イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

東洋のルソーからデモクラシーを学ぶ   ー『三酔人経綸問答』の世界へ

 
 この国におけるデモクラシーについて考えるためには、ヨーロッパの思想家たちに目を向けるだけではなく、この国の先人たちから多くを学ぶことも必要です。これから、中江兆民の代表作、『三酔人経綸問答』の世界へ入ってゆきたいと思います。この本については、幸いなことにわかりやすい現代語訳が光文社古典文庫から出ているので(鶴ヶ谷真一訳、2014年)、この訳を用いながら紹介することにします。
 
 
 明治時代に活躍した中江兆民は、「東洋のルソー」という呼び名で知られています。東洋のルソーという表現には、まずもって、アジアに民主主義のスピリットを導入した人という意味があります。私たちが生きているアジアは、歴史のなかで民主主義の思想を独力で生みだすことはありませんでしたが、明治期になると、デモクラシーというこの新たな思想がはるか海の向こうからやって来ます。この思想は当時の人びとにとって、まさに驚天動地というほかない考え方でした。
 
 
 デモクラシーの思想は、自然科学や産業技術の場合とちがい、成果が目に見えにくいところがあるのは確かだけれども、社会を根本のところから変えてゆくには、この思想が絶対に必要だ。岩倉使節団の一員としてフランスで学んだ経験をもつ中江兆民は、この新しい思想の鼓吹者として、ジャン・ジャック・ルソーの著作の翻訳をはじめとするさまざまな業績を打ちたてました。
 
 
 ここでは、中江兆民その人の名前の由来に触れつつ、デモクラシーについての大まかなイメージを掴んでおくことにしましょう。兆民という名前は、「億兆の民」という表現に由来しています。デモクラシーの力は、数えきれないほどの人びとの力を結集することによって生まれる。兆民という名前には、民衆のうちに宿る、この途方もないエネルギーが凝縮されています。
 
 
 このブログにおいても、つい最近、『もっと言葉を!』というシリーズで、言論のマルチチュードという表現を用いつつ、言葉の世界の未来を思い描いてみました。マルチチュードという言葉は民衆を意味するので、「中江兆民」という名前は、「中江マルチチュード」とでも現代語訳することができるかもしれません!マルチチュードの力を存分に活かす社会システムを作りあげることによって、世界はよいものに変わってゆくはずだ。これこそがデモクラシーの根幹にある考え方に他なりませんが、こうした考え方は、現代を生きる私たちにとっても、まだ新鮮さを失っていないのではないかと思います。
 
 
 今回の安保法案の件については、手続きのうえで、民主主義のあり方そのものが問いただされるような問題があったと言われています。私たちの国にはよいところがたくさんありますが、デモクラシーや憲法といったものについて、認識が十分に浸透していないというのも確かなようです。けれども、そうだとするならば、これから学んでゆけばいい。中江兆民のような人の思考を追うことは、きっとその大きな助けになってくれるはずです。
 
 
中江兆民 『三酔人経綸問答』
 
 
 さて、『三酔人経綸問答』は、中江兆民の代表作です。このタイトルは少しわかりにくいですが、現代語訳してみるなら、さしずめ『酔いどれ三人衆政治談義』といったところでしょうか。これはタイトルの通り、三人の酔っぱらいたちが、思想に燃えながら国の未来について熱く語りあうという内容の本です。なにやら少し暑苦しい雰囲気が漂っているのは確かですが、こうした設定には、中江兆民の思想家としての豊かな知恵がつまっているように思います。
 
 
 私たちがこの設定から学ぶのは、政治の領域について考えるときには、ある種のざっくばらんさも必要だということです。十分にリラックスして、自分が思っていることが滑らかに口をついて出るようにすれば、政治についての語りは自由で喜ばしいものになるはずだ。中江兆民自身についても、神楽坂あたりのお蕎麦屋さんで、若者たちとあけっぴろげに語っているのを目撃したというエピソードが、現代にまで伝わっています。かなりの大声で議論していて、まわりには少し迷惑だったようですが……。
 
 
 南海先生、洋学紳士君、豪傑君の三人がこの本の登場人物ですが、主人公である南海先生は、お酒を飲みながら国の未来について語るのを何よりの楽しみにしている人物として描かれています。南海先生は、政治について語りはじめると、心がうきうきとしてきて、まるで宇宙を遊泳しているような気分になってしまいます。千年まえの過去から、千年後のはるかな未来へ。南海先生のイデーは、このうえなくリラックスした語りのなかで、世界史のあちこちを飛びまわります。
 
 
 大酒飲みでおしゃべりの賢者。南海先生の姿のうちには、中江兆民その人が政治という営みについて抱いていた夢が反映されているということができそうです。あるべき政治のかたちは、自分たちの未来をめぐる、自由で闊達な語りあいから生まれてくるにちがいない。南海先生という人物のイメージのうちでは、アジアの夢幻とヨーロッパの理性が絶妙なしかたでブレンドされているように思います。引きつづき、『三酔人経綸問答』の世界を探ってみることにしましょう。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
マルチチュードという概念については、もしよろしければ、こちらの以前の記事もご覧ください。]
 
 
 
 
(Photo from Wikipedia)