イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

レヴィ=ストロース、猫について語る   ー『悲しき熱帯』と仏教の真理

 
 二回にわたって猫についての記事を書いたので、せっかくですし、もう少しニャンニャンワールドを探索してみることにしたいと思います。今回の記事で取り扱いたいのは、20世紀のフランスを代表する人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の最終部分です。
 
 
 レヴィ=ストロースは、構造人類学を立ちあげたことによって、20世紀後半の現代思想をリードした構造主義という潮流を担ったことでも有名です。けれども、1955年に出版されたこの本は、純粋に学術的なものではなく、ブラジルでのフィールドワークの体験をもとにした紀行文です。ボロロ族やナンビクワラ族といった、それまで「未開人」と呼ばれてきた人びとのもとでの生活を語った『悲しき熱帯』は、その内容もさることながら、著者自身の思想や文体も合わせて、フランスにおいてきわめて大きな評判を引き起こしました。
 
 
 今回の探求の目的は、この著作のすべての側面に焦点を当てることではなく、あくまでもニャンニャンちゃんの方にあります。さっそく、川田順造訳によりつつ(中公クラシックス、2001年刊が手に入りやすいと思います)、最終章「チャウンを訪ねて」の後半部分を検討してみることにしましょう。
 
 
 
クロード・レヴィ=ストロース 悲しき熱帯 構造主義 ブラジル
 
 
 
 この本は、ブラジルへの旅を終えたレヴィ=ストロースが人類の文化についての思索を書きつけるところで締めくくられます。さて、この箇所には、次のような有名な表現があります。
 
 
 「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。」
 
 
 この文章からも隠しようもなくにじみ出ていますが、レヴィ=ストロースは、超がつくくらいのペシミストです。人類は、いずれ滅びる。自分が探求してきた人類学の知識も、宇宙における創造の壮大な流れのなかの一コマであるということを除いてはおそらく何の意味も持っていないのだろうと、彼はいいます。
 
 
 このブログではいちおう、人類が歴史とともによい方向に向かってゆくというヴィジョンをもとに、さまざまな議論を展開していますが、ここで表明されているものの見方は、まさしくその正反対をゆくものであると言えるでしょう。人類が行っているのは、せいぜいのところ、せっせとエントロピー増大のプロセスに手を貸すくらいのことでしかない。結局、すべては終わるのだ。レヴィ=ストロースはとくに、歴史の進歩を信じる近代文明を嫌悪しています。彼はすでに数年前に惜しくも亡くなっていますが、このブログを仮に見るようなことがあったとしたら、何を言われるか、とても心配です……。
 
 
 たしかに、科学の世界では、数十億年後にはこの地球もいずれ太陽の熱で燃えつきるであろうと予測されているようですが、何もこんなことを言わなくてもいいではないかという気もします。しかし、筋金入りのペシミストである彼の思想はじつのところ、私たちもよく知っているある宗教思想に、とても深く共鳴しているようです。じっさい、彼はこれよりも前の箇所で、次のように言っています。
 
 
 
 クロード・レヴィ=ストロース 悲しき熱帯 構造主義 ブラジル
(画像は、レヴィ=ストロースが調査したブラジルの原住民)
 
 
 
 「私は実際、私が耳を傾けた師たちから、私が読んだ哲人たちから、私が訪れた社会から、西洋が自慢の種にしているあの科学からさえ、継ぎ合わせてみれば木の下での聖賢釈尊の瞑想に他ならない教えの断片以外の何を学んだというのか?」
 
 
 菩提樹のもとで宇宙の真理そのものに目覚めた人、ゴータマ・シッダールタレヴィ=ストロースは、インドが生んだこの聖人のなかの聖人にたいして、とても大きな共感を示しています。じっさい、『悲しき熱帯』の最終章は、ほとんど現代のブッディストの一告白とでも呼べるような内容になっているといえます。今回の記事ではくわしく述べることはできませんが、彼の構造人類学のプロジェクトについても、さまざまな点からみて仏教の思想と深くシンクロする部分があることは否定できません。
 
 
 そもそも、仏教徒とは、人間たちがいつか跡形もなく滅びさることのうちにこの上ない救いを見いだすという、とても変わった人たちです。人間とは、宇宙の創造のプロセスのなかでほんの一瞬だけ花開く、ひとときの夢にすぎない。万物は流転するといっても、諸行無常といっても、熱力学第二法則といっても、すべては同じことだ。「それでは、生きることの意味はどうなってしまうというのか?」意味などない。そんなものは存在しない。人類学も自然科学も哲学も、ボロロ族もナンビクワラ族も、瞑想が教えてくれることのほかには、何も教えはしないからだ。
 
 
 人類は滅びる。すべては瞑想だ。かなり極端な考え方ですが、そう言われてしまうと、なんだかその通りな気もしてきます。それにしても、この不思議な心地のよさは、一体どこからやってくるのでしょうか。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の最終部分を読んでいると、悟りをえたブッダたちが感じているはずのフィーリングが、まるでじかに伝わってくるかのような思いにとらわれることがあります。「未開社会」にかんする生き生きとした記述もさることながら、おそらくこのことこそが、この本が今でも世界中で読まれつづけている最も大きな理由の一つなのでしょう。
 
 
 「……猫は?」ああ、そうでした!瞑想的な気分に浸っていたせいで、肝心のニャンニャンちゃんのことを忘れていました。次回こそは、無事に猫のもとにまで辿りつきたいと思います。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
(Photo from Tumblr)