イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

すべてのことが新しく

 
 今回の件については、書きたいことはすでに、ほぼすべて書き終えました。このシリーズの締めくくりとして、あと一つだけエピソードを書いておくことにしたいと思います。
 
 
 「安心したまえ。君の眼には、とくに問題はない!」二週間ほどまえ、Dr.Yのところに、二度目の診察に行った日のことです。この日は、助手のピノコくんが、僕が精神的にも肉体的にも総崩れになっていたことを心配してくれて、アルバイトを終えたのち、眼科クリニックまで迎えに来てくれました。彼女には、本当に頭が上がりません。いつか必ず恩返しをしたいと思ってはいるのですが、一体、いつになることでしょうか……。
 
 
 さて、クリニックを出ようとしたとき、友人から僕の携帯にメールが来ました。どうやら、その日の夜に開かれるコンサートに誘ってくれているようです。「今夜の話で急なんだけど、来ない?チケットが余ってるんだ。」
 
 
 正直に言って、その時には、コンサートどころではない精神状態でした。いちおう、いったん落ちつきはしたけれど、自分の未来はいつもながら全く見えないし、Dr.Yからは問題ないと言ってもらいはしたけれど、眼のほうもぜんぜん良くなっていません。けれども、ピノコくんから「行ってきたら?気分が変わるかもしれないし。」というアドバイスをもらったこともあり、結局行くことに決めました。
 
 
 
 コンサート 眼医者 地下鉄
 
 
 
 さて、ピノコくんとも別れて、一人で地下鉄に乗っていた時のことです。前回までに書いたようなことをつらつらと考えながらコンサート会場に向かっていたとき、突然、次のような思考が浮かんできました。
 
 
 ひょっとしたら、僕の人生は、これから全く新しいものになるかもしれない。心身ともに、もう自分ではどうしようもないと思っていたし、長いあいだずっと死んだような気分だったけれど、そうした苦しみも、もうこのあたりで全て終わるのではないか。コンサートでは、どんな音楽に出会えるだろうか?明日からは、どんな人生が待っているだろう……?
 
 
 もちろん、実際には、その後にも苦しみがやむことはありませんでした。案の定、その後のコンサート会場では、精神状態もボロボロになって、長いあいだホールの外でぐったりとしていましたし、その上、なぜかお腹まで壊してしまいました……。そして、その日ののちにもさまざまな苦しみが相変わらず続いたことについては、これまで書いてきたとおりです。
 
 
 地下鉄に揺られていた時にも、そういうことはすべて分かっていました。人生が何もかもまったく新しくなるなんて、そんなことは簡単に起きるわけがない。僕はきっと、この後にも、苦しんで、苦しんで、苦しみぬくことだろう。けれども、その時には、自分の人生がひょっとしたら変わるかもしれないと感じていることが、本当に貴重なことのように思えました。
 
 
 何も変わらなくてもいい。むしろ、今ここで死んでもいいくらいかもしれない。もう死んだと思ったのに、今、これからすべてが新しく始まるかもしれないと思えていること、そのことだけで十分なのかもしれない。この瞬間のことを文章に書いて、誰かにそのまま伝えることができるなら、それだけでも、生まれてきた意味があるのではないか。
 
 
 そう書きつけてみても、正直に言って、あまりうまく書けた感じがしません……。けれども、その数分間のあいだは、全てのことにたいして何も文句がないというくらいに幸福でした。 乗っていた地下鉄の風景は味もそっけもないものでしたが、その時間は、今まで自分が体験することを許されたなかでも、飛びぬけて美しい時間だったと思います。
 
 
 
 コンサート 地下鉄
 
 
 
 これで、今回の話は終わりです。この後にもぽつぽつと自分の周辺のことを書いてみようと思っていますが、このシリーズはいちおうこれで一区切りということにしたいと思います。
 
 
 ところで、今の僕にとっては、ブログを書くということは、他にかけがえのないほど大切なことです。文章を書いて、それを読んでくださる方がいるということは、感謝にたえません。読んでくださって、本当にありがとうございました。これからもゆるやかに続けてゆきたいと思いますので、もしよければ、よろしくお願いいたします。