「イエス・キリストは、死んだ3日後に復活した。」前回の記事ではこのことについて書こうとしましたが、失敗しました。書く僕のほうに、それだけの覚悟が足りていませんでした……。
僕は、すべてのことを信じるかどうかはとりあえず別にするにしても、聖書のメッセージは、あらゆる人にとって重要な問いかけをはらんでいるものだと考えています。けれども、だからこそこの本は、少なくとも僕にとっては軽々しく扱ってよいものではありません。
前回の記事を書くまえの僕は、こう思っていました。「死んだ人がよみがえるなんて、めちゃくちゃにぶっ飛んでいるじゃないか!か、か、書きたい!」
しかし、そこには深い意味があって、面白半分の気持ちで書いていけないのはもちろんです!いえ、けっして僕が面白半分で書こうと思ったというのではありません。あくまでも真面目に考えてはいましたが、しかし……。
けれども、10回以上も書きなおしたということは、自分のうちに何かやましい気持ちがあったことは間違いないと思います。
聖書という本のうちには、めちゃくちゃにぶっ飛んでいてエキサイティングなところが、確かにあります。けれども、そこにはけっして面白半分で扱ってはいけないような、苦しみと愛についての痛烈なメッセージがある。今回、自分にはそこにたいする覚悟がまだ足りていないと思わされました。
僕にとっては、聖書は、死んだと思っていたところを救ってくれた本です。だからこそ、この本については、どこまでも真面目に語りたい。
今の時代は、とくに若い人びとのうちに聖書にたいする関心が減っているように思いますが、信じるかどうかはその人の自由であるにしても、そこに含まれているメッセージは、生きることと死ぬことについて、どこまでも深く考えさせてくれるものであると思います。
「ならば、もっと真面目にならなければ!」というわけで、聖書のメッセージについては、修行して出直すことにします!まだまだ、人生の道のりは長そうです……。