イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

生命と霊

 
 ヘーゲルの哲学を眺めているときに私たちが最も驚かされるのは、この人の書くもののうちには、あふれんばかりの生命の感覚がみなぎっているということです。
 
 
 個人を超えて人類そのものを突き動かしてゆく、生き生きとしたイデーの運動。この運動は、歴史上の出来事や、英雄のような人物、自然科学や芸術といったあらゆる領域を横断しながら、みずからを実現してゆきます。
 
 
 私たちはここで、ヘーゲルがあのフランス革命の目撃者であったことを思い起こさずにはいられません。この革命のどよめきのうちには何よりもまず、民衆の「自由!」という高らかな叫びが響きわたっていました。
 
 
 今の私たちには当たり前のものとなっている、この自由なるものは、人類がこれまで達成したものの中でも、自然科学の成功と同じくらいに輝かしいものでした。ヘーゲルは、みずからが生きていた時代を取りまいていた自由の雰囲気を、みずみずしい生命の直観によってつかみとったといえます。
 
 
 僕がヘーゲルの哲学の中で最も重要だと思うのは、彼のうちで働いている、自由のスピリットがみなぎっている、この生命の感覚にほかなりません。そして、おそらくここには、たんなる生命の次元を超えるものの存在を見いだすことができるのではないか。
 
 
 
ヘーゲル フランス革命 精神現象学 内在 超越 スピリット イデー
 
 
 
 ヘーゲルの『精神現象学』という本のタイトルの「精神」という語は、原語ではガイストGeistで、霊と訳することもできるものです。そして、彼の語っている運動は、生命的でもあればイデアルでもあり、内在と超越の次元を横断して行われているようにみえます。
 
 
 内在と超越。そして、霊、あるいはスピリット。僕は、こうしたテーマが、哲学がいま追いかけるべきものなのではないかと考えているので、ヘーゲルの哲学には大いに注目せずにはいられません。
 
 
 命をつらぬいて、命を超えて人間たちのあいだを吹きぬけてゆく、風のように自由なスピリットの運動。人類の青春時代を生きたヘーゲルの思考を、現代の私たちがどのように受けとめてゆくべきなのか、これからじっくり考えてゆくことにしたいと思います。