発散のフェーズと、信仰のフェーズ。そして、不確定性の形而上学のうちに潜在的に内包されている、無限数の世界モデル。不確定性の形而上学について言えることはまだかなりありそうですが、プログラムを立ち上げたということで、とりあえずはここで今回の探求を終わりにしたいと思います。
それというのも、今や、次のように言うことができるからです。「ここからは、神が存在するという前提のもとで、真理を探求することができる。正しいか正しくないかはともかく、探求者はそういう選択をした。あとは力のかぎり、最後まで走りきるだけである。」
僕が形而上学を探求することの喜びを知ったのは、ライプニッツの哲学の研究を通してでした。もう8年近く前になりますが、一時期はかれの体系のことしか頭に入らないというくらいに、全身全霊をかけて熱中していたように思います。
頭の中で正しいかどうかもよくわからない理論をこねくり回して、ああでもないこうでもないとうなりつづける。哲学者たちは、なぜ一生のあいだそんなことを続けていられるのでしょうか。
彼らのほとんどは、きっと次のように答えることでしょう。「決まってるだろう。楽しいからだよ!こんなに楽しいことなんて、他にないじゃないか!」
不確定性の形而上学というのは、かつて歴史上の大先輩たちからたくさん学んだことにたいする、今の僕なりの応答です。彼らからは、「思考の厳密さが、まったく足りない!」とお叱りを受けそうですが、とりあえずは、一つの方向性を示すことだけはできたのではないかと思っています。
最後に、ライプニッツの『モナドロジー』は、とても短いですが、本当にいい本です。この本のうちには、最高の芸術が与える喜びにも似た喜びがたっぷりつまっているのではないかと思います。興味をお持ちの方は、ぜひこの本のページをめくってみてください。