イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

倫理の根源へ

 
 前回の探求において私たちは、「あなたは殺してはならない」という倫理の原則に出会いました。その時には、それが話の本題でなかったこともあり、そのまま通りすぎてしまいましたが、これからもう少し掘り下げてみることにしたいと思います。
 
 
 人を殺してはならないという掟は、私たち人間の社会を作りあげてゆくうえで、最も基本となるものの一つです。しかし、私たちが、この掟にはどのような根拠があるのかということについての答えを持っているかといえば、「もちろん、持っている」と胸を張って言えるわけではなさそうです。
 
 
 小説や映画においては、人はたえず人を殺しています。現実においても、この地球上で殺人の起こらない日は、それこそ一日もありません。
 
 
 「なぜ、人を殺してはいけないのだろう。」この問いについては、哲学者はいちど真剣に考えておく必要があるのではないか。倫理というものの基盤は、どこにあるのだろう。形而上学の次は、倫理学の領域に足を踏みいれてみることにします。
 
 
 
ニヒリズム シニシズム 倫理の根源
 
 
 
 ところで、このような問いが前面に浮かび上がってくることの背景には、言うまでもなく、ニヒリズムの問題があります。
 
 
 気がついてみると、哲学はもう長いあいだ、善悪の彼岸をさまよいつづけているのではないか。今日の哲学は、「人間として生きるうえで何が善く、何が悪いことなのか」という問いに、正面から答えることができるだろうか。
 
 
 終わりの時代の哲学はこうした問いのもとに立って、みずからが進んで行くべき方向について自問します。
 
 
 「倫理なるものは、必然的に欺瞞であるほかないのだろうか。人間が人間であるかぎり、絶対にしてはならないことがあるとしたら。」
 
 
 掟の次元については、現代の人びとは口をつぐむ傾向にあるように思います。
 
 
 掟はいまや、ニヒリズムシニシズムによって、たえず否定され、軽んじられているように見えます。ひとが掟を守るにしても、それは自分の利得のためであり、倫理そのもののためではないとい場合も、おそらくは決して珍しくないのではないでしょうか。
 
 
 これから掟の根拠がどこにあるのかを、哲学的に探ってみることにしましょう。殺人のケースにかぎらず、人間の倫理法則すべての根源を追い求めてみることにします。