イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ファム・ファタルを警戒しよう

 
 それにしても、偶像とか悪魔という言葉を不用意に用いてしまうと、当の女性たちにたいしてあまりに礼を失することになるのではないかという恐れがあります。
 
 
 したがって、ここからはさらに対象を限定してゆくことにしましょう。すなわち、「今回の探求では、うまくゆかなかった恋、それも、悪魔的な女性への恋のみしか取り扱わない。」
 
 
 恋愛の領域においては、悪魔的な男性が存在するのと同じように、悪魔的な女性も存在します。
 
 
 そして、文学においては、こうした女性たちにたいして、まさしく彼女たちにふさわしい呼び名が与えられてきました。その呼び名とは言うまでもなく、ファム・ファタル(運命の女)というものです。
 
 
 ファム・ファタルのうちには、金銭やぜいたくを目的として男性たちに近づいてくる人たちもいますが、むしろ、それならばまだずっとましな方だと言わざるをえません。
 
 
 それというのも、彼女たちの中には、男たちの魂を切り裂くことそのものを目的にしているという場合が決して少なくないように思われるからです。男性は、狙われているのが自分の命そのものであるということには、くれぐれも注意しておく必要がありそうです。
 
 
 
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 こうした悪魔的な女性のうちでここで特に注意しておきたいのは、哲学者や芸術家たちを狙っているというケースです。
 
 
 遺憾なことに、彼女たちは、真理や美にたいして燃えたつ魂をもて遊び、地獄の底にまで叩き落とすことを何よりも好んでいるようです。
 
 
 おそらく、ファム・ファタルたちは無意識のうちに、そのような魂の中に、またとない信仰者の素質を見てとっているのでしょう。しかし、言うまでもなく、彼女たちの目的は男性の信仰を高めてゆくことではありません。
 
 
 むしろ、彼女たちは、生まれつつある信仰心の萌芽を、まるごと自分への偶像崇拝に向けかえようとしています。
 
 
 「さあ、すべてを捨てて、わたしだけを礼拝しなさい。」何が恐ろしいといって、ものを言う偶像ほど恐ろしいものはありません。