イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

神はすでにかれをとらえた

 
 「恋の体験は、恋される対象とはほとんど何の関係もない。」このことは、うまくいった恋愛なるものについて考えてみるならば、いっそう理解しやすくなります。
 
 
 恋愛がうまくゆき、恋の相手と長い付き合いをはじめた場合にいわゆる「最初のときめき」が失われてゆくというのは、誰でも経験せずにはいないことです。
 
 
 恋愛がうまくゆき、恋の相手と長い付き合いをはじめた場合にいわゆる「最初のときめき」が失われてゆくというのは、誰でも経験せずにはいないことです。
 
 
 うまくいった恋愛においては、恋を突きうごかしていた「完璧なあなた」の理念が、しだいに後景に退いてゆきます。そして、この理念が恋する主体のうちで現働化することがなくなるにつれて、恋から宗教的な色彩が失われてゆくことになる。
 
 
 恋する主体が失恋した場合にのみ、「完璧なあなた」の理念はいつまでも天上で輝きつづけることになります。
 
 
 恋の相手はもう去ってしまったので、もう誰も、この理念が主体にたいして絶対的に君臨するのを妨げることがありません。恋する主体は、「わたしの愛するあなたは完璧である」という想定を、いつまでも手放すことがないでしょう。
 
 
 
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 この点からすると、失恋というのは、恋する若者が恋の中核を手放さずに宗教的でありつづける唯一の道であるということになりそうです。かれは、愛なるもののかけがえのなさにも堕天使的なるものの誘惑にも、もう惑わされることがないからです。
 
 
 何よりも、かれは失恋することによって、あの悪魔的な彼女とのつながりが完全に切れました。若者自身にとってはこれほどの悲しみはありませんが、かれが宗教的なものの方に足を踏み入れてゆくためには、これほどに好都合なものもありません。
 
 
 神はついに、かれをとらえました。神はすでに、悪魔がかれを誘惑することを許し、かれが恋の迷宮に迷いこんでゆくことを認めていました。
 
 
 失恋によってかれの魂は打ち砕かれましたが、神が好むのは、何よりも打ち砕かれた魂にほかなりません。かれ自身はまだまったく気づいていませんが、どうやら、すでに人間の時は終わり、神の時が始まっているといわざるをえないようです。