地上的なものにとらわれずに天の真理を求めつづける、哲学の探求者。しかし、私たちはここで、かれに襲いかかる危険のことに注意を払っておかなくてはなりません。
それは他でもない、世間から認められたい、売れたいという誘惑のことです。哲学の領域においてもセルアウトという現象が存在するということは、どうやら否定することのできない事実のようです。
売れれば、もうお金のことに悩まなくてすむんだ。そのために必要なのは、それらしさとうまいキャッチコピーだ。さぁ、業界の動向を調べよう。今の若者が何を欲しているのかをマーケティングするんだ。
いやもう、ぶっちゃけた話、若者の動向を調べる必要すらない。必要なのは、何が売れるかじゃなくて、何が売れると業界の人たちが考えているかだ。ブームはプロモーションが作るのだ。いやなに、大御所に帯でもなんでも書いてもらって、あとは本屋の目につくところに置いてもらいさえすれば……。
もはやそこまで来てしまうと、哲学も思想も何もあったものではありません。もちろん、これは一種の戯画にすぎませんが、セルアウトの誘惑は、知恵の探求に燃える哲学者とも無縁ではないということなのでしょう。
この点については、信仰者はかれの主である、イエス・キリストのことを思い出しておくのがよいかもしれません。
キリストは荒野で飢えていたとき、悪魔から誘惑を受けました。悪魔はキリストにたいして、そんなにお腹が空いているのなら、神の子なのだから、石ころがパンになるように命じたらどうだと語りかけます。
しかし、キリストは断固として悪魔に言い放ちます。「『人はパンのみで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
真理のロゴスを求めて生きる哲学者は、パンの誘惑にけっして屈してはならない。キリストにならって荒野をさまよい、ただ天だけをめざして一心に修行にはげむべきである……。
照りつける太陽の暑さとやって来る飢えは、哲学者を激しくさいなみます。しかし、パンの誘惑をはねのけた彼としては、ただ命のあるかぎり真理の道を歩みつづけるのみということなのでしょう。