三浦綾子さんのエピソードを聞いたことが一つのきっかけとなって、数日のあいだ考えつづけてみましたが、やはり、このあたりでもう一度決意を固めておく必要がありそうです。
書いたものを他の人に読んでもらいたいと思うからには、どうしても伝えたいことがなければならないのではないか。あらためてそう考えてみると、僕にとって伝えたいこととは、最後のところではつぎの一点につきるのではないかと思いました。
「神が、私たちの一人一人を愛している。」
このメッセージは、これだけで、あるいはたった一度で伝わるということは、ほぼ確実にないといっていいのではないかと思います。そのうえ、それを伝えたいと信じている僕自身も、このことが絶対に正しいと胸を張って証明できるわけではありません。
けれども、僕は、自分はこのことを伝えるために生まれてきたのではないかとすでに信じさせられてしまっています。4年前には、キリストのことを真剣に考えたことはほとんどなかったのに、人生というのは本当に不思議なものだと思わずにはいられません。
書いたものを他の人に読んでもらいたいと思うからには、どうしても伝えたいことがなければならないのではないか。あらためてそう考えてみると、僕にとって伝えたいこととは、最後のところではつぎの一点につきるのではないかと思いました。
「神が、私たちの一人一人を愛している。」
このメッセージは、これだけで、あるいはたった一度で伝わるということは、ほぼ確実にないといっていいのではないかと思います。そのうえ、それを伝えたいと信じている僕自身も、このことが絶対に正しいと胸を張って証明できるわけではありません。
けれども、僕は、自分はこのことを伝えるために生まれてきたのではないかとすでに信じさせられてしまっています。4年前には、キリストのことを真剣に考えたことはほとんどなかったのに、人生というのは本当に不思議なものだと思わずにはいられません。
おそらく、たとえば他の宗教との関係といったテーマについては、これからさまざまなことを考えてゆく必要がありそうです。けれども、今の時点でも確信をもって誰にでも自分の思想として言えることがひとつあります。
それは、「愛することは、人間にとってこの世で最も大切である」ということです。人によって意見が異なるとは思いますが、僕は、このことだけは何があっても曲げられない真理なのではないかと考えています。
この点については、アンダーグラウンドかメジャーかということは、ほとんど問題にならないのかもしれません。対話の精神を忘れないことはもちろん大事ですが、人間として譲れないものをきちんと持っておくことも、おそらくは必要なのではないか。僕はさまざまな点で中途半端な人間ですが、ここだけは今のうちに、自分の中で揺るがない核にしておきたいところです。