三日のあいだ考えてみましたが、やはり、問題のひとつには、このブログにおいて自分の人生の目的をはっきり書いておかなかったことがあるようです。
「イエス・キリストのことをこの世に伝える。」
前回の記事で少し書きましたが、僕は今年の2月か3月に、「僕は、生まれてくるべきではなかった」という考えに取りつかれました。それまでにも絶望したことは何度もありましたが、その時ほど強烈に死ぬしかないと思ったことはなかったように思います。
そして、そこから救われることができたのは、最後のところでは哲学によってではなく、イエス・キリストを自分の救い主として信じることによってでした。哲学そのものを否定する必要はなさそうですが、このことを踏まえつつ、これからの自分の生き方をもう少しじっくりと見つめなおしてみることにします。
ピノコくんと電話したのは、彼女から「あまりキリストのことを強調しすぎるのはやめた方がいいのではないか」と、つねづね釘を刺されていたからです。案の定、今回も言い争いになってしまいましたが、今はなんとか仲直りすることができました。
今回は、また近いうちに同じようなしかたでダウンしないためにも、今のうちにこのブログを読んでくださっている方に自分の立ち位置を伝えさせていただこうと思い、書くことにしました。(こちらの都合ですみません……)
こんなブログでも、読んでくださっている方がいるということには、本当に感謝のかぎりです。読んでくださる方にも何かの参考になるようなものを書くようにと思ってはいるのですが、何よりも、このブログからは書いている僕自身が最も大きな幸福をもらっていることは間違いありません。
今の筆者には、ここでこうして書いていることが人生のすべてです。結局、年末まで闇の中を突っ走っているということになりそうですが、とりあえず、これからまた数日間をかけて自問自答してみるということにして、今回はこのあたりにさせていただくことにします……!
「イエス・キリストのことをこの世に伝える。」
前回の記事で少し書きましたが、僕は今年の2月か3月に、「僕は、生まれてくるべきではなかった」という考えに取りつかれました。それまでにも絶望したことは何度もありましたが、その時ほど強烈に死ぬしかないと思ったことはなかったように思います。
そして、そこから救われることができたのは、最後のところでは哲学によってではなく、イエス・キリストを自分の救い主として信じることによってでした。哲学そのものを否定する必要はなさそうですが、このことを踏まえつつ、これからの自分の生き方をもう少しじっくりと見つめなおしてみることにします。
ピノコくんと電話したのは、彼女から「あまりキリストのことを強調しすぎるのはやめた方がいいのではないか」と、つねづね釘を刺されていたからです。案の定、今回も言い争いになってしまいましたが、今はなんとか仲直りすることができました。
今回は、また近いうちに同じようなしかたでダウンしないためにも、今のうちにこのブログを読んでくださっている方に自分の立ち位置を伝えさせていただこうと思い、書くことにしました。(こちらの都合ですみません……)
こんなブログでも、読んでくださっている方がいるということには、本当に感謝のかぎりです。読んでくださる方にも何かの参考になるようなものを書くようにと思ってはいるのですが、何よりも、このブログからは書いている僕自身が最も大きな幸福をもらっていることは間違いありません。
今の筆者には、ここでこうして書いていることが人生のすべてです。結局、年末まで闇の中を突っ走っているということになりそうですが、とりあえず、これからまた数日間をかけて自問自答してみるということにして、今回はこのあたりにさせていただくことにします……!
(12月13日)
[ここ最近の記事を読んでくれた友人の開途さんが闘志を燃やし、かれの方でも文章を書いてくれました。開途さん、僕たちの世代のうちには、おそらくはまだ見ぬ病める同志もけっして少なくないはずです。実存の苦しみに歯を食いしばりつつ、イルな思想の戦いの最前線を生きぬきましょう……!(12月27日現在の時点で追記)]