イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

見捨てられている人のほうへ

 
 今回の探求の終わりに確認しておきたいのは、「人権は、もしもリアルなものであるとするならば、この世で見捨てられているどんな人をも放っておかないことを要求する」ということです。


 どんな人も、不当に傷つけられたり搾取されたりすることのない世界。すべての人が食べることに満ち足りて、病気の時には適切な治療を受けることのできる世界。


 物質的な面から見れば、私たち人類はいまや、そのような世界の実現にかなりの部分まで近づくことができます。けれども、じっさいの世界の姿はそうなってはいないところも大きく、むしろ、状況が後退してゆきそうな気配すらあります。


 たとえば、私たちの国は、世界の中ではずばぬけて豊かなほうに属していますが、海外で何かニュースが起こるさいには、「わが国の景気はどうなるのか」という論点にあまりにもこだわりすぎているのではないだろうか。円や株価、経済政策のことがいつでもかまびしく論じられているのにたいして、見捨てられている国内や国外の人びとに光が当てられることは、かなり少ないように思います。



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 とは言っても、このように書いている僕自身が、これまでの人生であまりにも自己中心的に生きつづけてきたので、この世のあり方を糾弾する資格があるというわけではまったくありません。この国の豊かさと安全に守られていることを無視するわけにゆかないのももちろんです。


 おそらく、哲学や思想には、本質的にこの世のあり方にたいして疑問をぶつけずにはいられないところがあります。そのさいには、そうした疑問や批判は、哲学者や思想家自身にすべてはね返ってくるということを忘れてはならないでしょう。


 ただ、そうしたことをすべて認めたうえでなら、「人間には他にもやるべきことがあるのではないか」という問いを提起することは許されるかもしれません。思想の営みが現実に結びつきうるのかという問いも含めて、これからも考えつづけてゆくことにします。