イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

同志を求めつつ……。

 
 最近、筆者は、聖書のマニアックな話で盛り上がることのできる知り合いが少ないことに悩んでいます。


 私見にはなりますが、世界のあらゆるジャンルの本を読みあさったのち、筆者自身は、「聖書こそ、魂の救いという観点からのみならず、面白さからみても最強で唯一無二の本である」という結論に達しました。そこまではいいのですが、問題は、この本のハードコアな面白さを分かちあってくれる人が、まわりにほとんどいないことです。


 時間無制限で聖書について語りまくりたいくらいなのに、現実には孤独に神秘的瞑想にふけるしかない。助手のピノコくんもキリストのことを信じはじめてはいるのですが、聖書そのものへの関心にはまだ火がついていないので、この点についての魂の飢え渇きは消えません。


 読めば読むほど奥行きがあり、しかもところどころハイパークレイジーでありながら、最終的には世界の終わりを通して身近な隣人愛の実践にゆきつくという名作中の名作で、しかも、制作には神ご自身が関わっておられる。最後の点に同意するには信仰が必要なことは否めませんが、キリスト者として、ぜひこの本のページをめくることを魂の底からおすすめさせていただきます……!
 


聖書 ピノコ キリスト



 と、書いてはみたものの、よく考えてみると、人に本や音楽をすすめることほど難しいことはありません。人間の心はとてもデリケートにできているので、自分自身の内側からの深い必然性によるのでなければ、何ごとも吸収されないようになっているからです。


 しかし、その一方で、キリスト者は二千年前から、世の終わりが迫っていると堅く信じつづけています。


 万物の終わりが近く、もはや時がないのだとすれば、今がラストチャンスかもしれません。どうか、できるだけ早く、ぜひ一読をお願いします……!

 
 ……などと言ってしまうと、厚かましいうえに場合によってはカルト宗教認定すらされてしまいかねないので、ここは少し冷静になる必要があるかもしれません。この点については、いつの日かハードコアな聖書サークルを立ち上げることを、ひそかに夢みるばかりです。



 
 
[……と書いていたところ、さきの日曜日には友人と、聖書に出てくるカテーコンという概念をめぐって、終末論とグノーシス主義と今の世界情勢を絡めたディープな議論に燃えることができました。彼女には感謝というほかありませんが、望みつづけていれば、機会は少しずつ確実に与えられるということなのかもしれません……!]