イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

聖書のウルトラツイスト

 
 ところで、聖書には旧約と新約の二つがあることはよく知られていますが、聖書のメッセージをメシア=救世主という観点から一言で要約すると、次のようになるかと思います。

 
 1.旧約聖書……ユダヤ人は、メシアを待ち望む。
 2.新約聖書……メシアが来たので、全人類が救われる!


 はじめてこのことを聞いた方がいるとすれば、すぐに疑問が湧いてくるかもしれません。「なんで話がユダヤ人から、とつぜん全人類に……?」


 しかし、筆者にはこの点こそ、聖書全体のストーリーの肝になる部分であると思われます。


 旧約聖書までは、この本は、ユダヤ人たちに向けられた信仰の書として読むことができます。神は世界を創造した唯一の存在ではあるけれども、ユダヤ人を選び、ストーリーの全体をとおして彼らを愛しつづけます。


 しかし、新約聖書に移り、メシアであるイエス・キリストが来たとたんに、話がアクロバティックな急展開を見せます。「わたしは、わたしを信じるすべての人を救うために来た。」救いの光は、一気にユダヤ人から全人類へと広がります……!



旧約聖書 新約聖書 ユダヤ人 メシア 救世主


 
 「わたしの思いは、あなたたちの思いをはるかに超えている。」旧約聖書の中の一節です。神の計画は、人間たちの想像をはるかに超えた、ウルトラツイストにつぐウルトラツイストの連続であると、神ご自身が宣言しておられます。


 この展開は、当のユダヤ人たちにも最大級の驚きを引き起こすものだったようで、イエスが救世主であると信じた人の数は、ユダヤ人の中でも少数派でした。


 冷静に考えると、それはそうなるだろうという気もします。誰でも「救世主が現れた」と聞けば、まずはデタラメだと思うのがふつうでしょうから……。


  しかし、メシア=救世主とはいったい、どのような存在なのでしょうか。このブログはいちおう哲学のブログでもあるので、これから探求を進めつつ、この点について哲学の立場から考えてみることにしたいと思います。