イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

終末に愛を

 

 「philo君。軽々しくは言えないことだが、わたしは、この世界の終わりがとても近いのではないかと思っているのだ……。」



 ワルシャワの教会でお世話になった、ポーランド人のM牧師とお話しさせていただいたときの言葉です。ポーランドリトアニア旅行と万物の終わりについては、他にも書きたいことがたくさんあるのですが、この辺りでそろそろ、いちど留保をつけておかなくてはなりません。


 それは、キリストの福音において最も大切なのは、何よりも私たち人間にたいする神の愛であるということです。


 万物の終わりというトピックは、人間の興味をとめどなくかき立てます。その日のことを想像すると、形而上学的かつ宇宙論的なヴィジョンに胸がおどり、いてもたってもいられなくなるという人もいるかもしれません(筆者だけかもしれませんが……)。


 けれども、その場合にも、キリストが地上に来たのは人間に本当の愛とは何かを伝えるためだっということを忘れるべきではないと思います。


 神の愛とは、どのような愛でしょうか。自己犠牲の愛。アガペーの愛。言葉のうえでは、神の愛を説明する言葉は、キリスト教関係の本を少し開けば、いくらでも見つかります。


 けれども、この愛を実感をともなって感じとることは、人間にはとても難しい。神の愛の深さを人間がすべて知りつくすことは、原理的にいって不可能であると思われます。



神の愛 ワルシャワ ポーランド 万物の終わり
 
 

 筆者はさまざまな理由から、キリスト者には時の終わりについて語ることが必要なのではないかと考えていますが、その際にもしも神の愛について語りそこねるのだとしたら、それこそ、そのキリスト者の語ったメッセージは台無しになってしまいかねません。


 この愛は、この世から出たものではありません。吹きぬけてゆく風のように、どこかからやって来て人間を満たす命の息吹です。筆者は、哲学はあらゆる困難を乗りこえて、この息吹について語らなければならないと信じます。


 このような愛が、海を水が覆うようにして、世界のあらゆるところに満ちるならば、そのとき人間は生き方を変えざるをえないでしょう。人間は、もはや空しいことを求めることがないでしょう。筆者は、時の終わりという言葉はまずもって、そういう奇跡のような時間のことを指すのではないかと考えています。