イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

生き方が変わるとき

 
 メシア的瞬間において信じるという出来事のうちに引き入れられたひとは、そののちに、もうそれまでの生き方を続けることができません。


 メシアを信じた人は、すぐに自分のまわりにも、その知らせを伝えようとします。「私たちを救ってくれる人が、この世にやって来たのだ!」しかし、その人はすぐに、まわりの人びとはその知らせを信じるどころか、そのような知らせには全く興味など持っていないことを思い知らされます。


 そこで、その人は考えます。どうしたら、メシアがやって来たというこの知らせのことを信じてもらえるのだろうか。


 メシアは人間に、神を愛し、隣人を愛するように教えました。愛を実践するなかで「このような生き方は、本当にメシアがやって来たのでなければできるはずがない」という思いがまわりの人のうちに生まれるとしたら、メシアの知らせは広がってゆくことができるかもしれません。


 おそらくは、ただ広めたいというだけでは、他の人にメシアのことを信じてもらうことはできないでしょう。人間は、そういうことはすぐに敏感に感じとってしまうものです。その人の愛が本当に純粋なものである場合にだけ、人と人のあいだを超えて何かが伝わってゆくこともできるはずです。



メシア的瞬間 愛 聖書 イエス・キリスト
 


 愛の道ははてしなく長いので、伝えるということは時間を要します。おそらくは、何十年もかけてやっと伝わったということも、決して珍しくはないのではないでしょうか。


 けれども、人間ひとりの魂は、それこそ宇宙全体にも等しいほどに価値のあるものであることを考えるとき、ひとりが救われるということは、何にもまして大切な出来事であることがわかります。それは、他の人の目から見れば大したことには見えなくても、神の目から見ればこれほどよいニュースはないというくらいのことであると、聖書は私たちに語っています。


 したがって、メシアの知らせを伝えようとする人は、焦る思いをおさえて、まずは人間ひとりひとりの魂のかけがえのなさについて、きちんと認識しておく必要がありそうです。この世はどんどん数字のことばかりを気にするようになっていますが、愛を信じる人は、おそらくはそうであってはいけません。