そういうわけで、そろそろ、自分の人生を再開させてみることにしようと思います。低空飛行&低速運行が原則であることは、もはや付け加えるまでもなさそうですが……。
それにしても、筆者はこれまで救いの哲学を追い求めつづけてきたけれど、誰よりも救われなければならないのはまずは自分自身であることに、ようやく気づきました。死にたくないのにこの世で生きつづけるのもきついという人間は、一体どうすれば救われるというのだろうか……。
けれども、よく考えてみると、これがまごうかたなき本当の人間の姿であるともいえるのではないか。この世で苦しむがこの世への愛を捨てきれず、この世ではないどこかを求めずにはいられないが、かといって死ぬにはあまりにも弱すぎるというのが、人間のありのままであるとしたら。
キリストは、「神の国は近づいた」と私たちに言っています。人間がいつか神の国にもしも本当に住めるのだとしたら、こんなに幸福なことはないともいえそうですが、申し訳ありません主よ、死ぬのはやっぱり恐いのでどうか勘弁してください、でも情けないことに、この世もめちゃくちゃ辛いんです的なディレンマからは、逃れられそうにありません。この点は、これからの課題にしておくことにします。
今回は自分の話ばかりになってしまい、申し訳ありませんでした。人生のスウィートな停止状態についてのびのびと書くはずが、別にスウィートでもなんでもなく、ただの停止状態の中で逆流性食道炎について書きまくっただけのような気もしますが……。
しかし、筆者にとっては、この場で実存の苦しみについて思うさま書けるということが、どれだけ救いになっているかわかりません。読んでくださっている方のおかげで筆者が生きる力をもらっていることは確かなので、この場であらためてお礼を言わせていただきます。
本当に、僕はこのブログがなければ、今ごろは心身ともにはち切れていたに違いありません。今回はこんなことになってしまいましたが、なるべく哲学上のヒントになれるようなものを書くように努めますので、どうかお見捨てなさいませぬよう、助手のピノコくんともども、ここに心からお願いしたく……。
……と書いていると、お礼を言っているはずが、かえってご迷惑をおかけしそうなので、この辺りで失礼させていただくことにします。読んでくださって、ありがとうございました!
それにしても、筆者はこれまで救いの哲学を追い求めつづけてきたけれど、誰よりも救われなければならないのはまずは自分自身であることに、ようやく気づきました。死にたくないのにこの世で生きつづけるのもきついという人間は、一体どうすれば救われるというのだろうか……。
けれども、よく考えてみると、これがまごうかたなき本当の人間の姿であるともいえるのではないか。この世で苦しむがこの世への愛を捨てきれず、この世ではないどこかを求めずにはいられないが、かといって死ぬにはあまりにも弱すぎるというのが、人間のありのままであるとしたら。
キリストは、「神の国は近づいた」と私たちに言っています。人間がいつか神の国にもしも本当に住めるのだとしたら、こんなに幸福なことはないともいえそうですが、申し訳ありません主よ、死ぬのはやっぱり恐いのでどうか勘弁してください、でも情けないことに、この世もめちゃくちゃ辛いんです的なディレンマからは、逃れられそうにありません。この点は、これからの課題にしておくことにします。
今回は自分の話ばかりになってしまい、申し訳ありませんでした。人生のスウィートな停止状態についてのびのびと書くはずが、別にスウィートでもなんでもなく、ただの停止状態の中で逆流性食道炎について書きまくっただけのような気もしますが……。
しかし、筆者にとっては、この場で実存の苦しみについて思うさま書けるということが、どれだけ救いになっているかわかりません。読んでくださっている方のおかげで筆者が生きる力をもらっていることは確かなので、この場であらためてお礼を言わせていただきます。
本当に、僕はこのブログがなければ、今ごろは心身ともにはち切れていたに違いありません。今回はこんなことになってしまいましたが、なるべく哲学上のヒントになれるようなものを書くように努めますので、どうかお見捨てなさいませぬよう、助手のピノコくんともども、ここに心からお願いしたく……。
……と書いていると、お礼を言っているはずが、かえってご迷惑をおかけしそうなので、この辺りで失礼させていただくことにします。読んでくださって、ありがとうございました!
[終わりに、奇蹟のようにスウィートな山下達郎さんの一曲を貼りつけておくことにします。人生のすべてをかなぐり捨てた時に筆者が味わった解放感は、まさしくこの曲のスウィートな感覚にかぎりなく近いものでした……!]