イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

関係をめぐる残酷な事実

 
 生きることの意味は本質的にいって他者との関係のうちにこそあるのではないかと思われますが、その一方で、次のような事情を忘れることはできません。
 

 「わたしとあなたとの関係は、どこかで終わってしまうことがありうる。」
 

 かつてはあれほど多くのことを語り合っていたのに、気がついてみると、互いに相手に対してかける言葉がなくなっている。残酷な現実ではありますが、こうしたことを実際に経験したことがないという人はいないのではないかと思います。
 

 近づくということは喜ばしいことでもありますが、そこには危険もあります。関係において近づけば近づくほど、人間は、お互いのあいだのほんの小さな隔りさえも次第に許せなくなってゆく。
 
 
 違っていることはすばらしいことだと、世の中では言われることがあります。これはある面において真実ではありますが、この言葉はたいていの場合には、一片の欺瞞を押し隠しながら発されているのではないか。
 
 
 
欺瞞 関係 人間 他者
 
 

 人間と人間がわかり合うということは、本当に難しい。わたしは、かつてはあなたの言葉をあれほど真剣に聞き取ろうとしていたのに、今はもう、あなたの一つ一つの言葉はわたしにとって意味を持たないか、実りのない苛立ちを引き起こすものでしかなくなっている。
 

 あるいはその反対に、わたしの言葉はもう、あなたには届かない。おそらく、関係を続けようと思うならば、関係が壊れることを恐れずに心を開いて話しあうことが必要なのかもしれないけれど、わたしにもあなたにも、もうそのような渇望も気力も残っていない。
 

 こうしたことにはできるならば目を背けつづけたいところですが、もしもわたしがあなたと表面の次元を超えて関わりつづけたいと思うならば、しっかりと向き合っておく必要があるのではないか。人間と人間の関係においては、関係を終わらせないためにも、まずは関係が終わる可能性を見据えておくことが求められているのではないかと思われます。