イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

他者のいない世界

 
 人と人との関係については、生きるうえで次のことを改めて受け入れておいた方がよいのではないか。
 
 
 「人に関わらないことも、人と関わりつづけることも、人間に苦しみをもたらさずにはおかない。」
 

 人間と深く関わるということは、おそらくは誰にとっても、必ずどこかで行きづまりや失望をもたらさずにはおきません。けれども、もしも人間と完全に関わりを絶ってしまったならば、そこに待っているのは、それこそ死や無にひとしいような人生であるといえるのではないか。
 

 「すべての物事には意味がない」と主張するニヒリストたちには多くの場合、「あなた」と呼べるような他者(友人であれ恋人であれ)を持たないか、あるいは、そのような関係が存在するという可能性すらも否定します。他者のいない世界には命そのものもまたないということは、否定しがたいように思われます。
 

 私たちは時に失望のうちで、他者のいない世界で生きてゆきたいと独語しますが、もし本当にそのことが実現してしまったならば、おそらく人はそのとき自ら命を絶たずにはいないのではないか。
 
 
 
ニヒリスト 現代 ゲーム エンターテインメント マイルドなニヒリズム 死 無
 
 

 しかし、事情が複雑であるのは、現代という時代においては、あたかも他者が存在しないかのような生を送ることが実際に可能になりつつあるからです。
 

 ゲームもエンターテインメントも、今の時代にはそれこそ無限ともいえるほどに溢れています。旅行にゆくことも出かけることも一人でできるし、わずらわしい人間関係をかわしながら「快適」に生きてゆくための手段は、ますます揃いつつあるといえるのではないか……。
 

 それでも外の世界のことが気になるならば、端末を使えばいくらでも他人たちについての情報は手に入る。影のように、人間にコミットせずに人間たちの世界を覗きながら生きてゆくのは、なんと心地よいことだろう……。
 

 現代の先進国では、いわばこうしたマイルドなニヒリズムとでも呼ぶべき生き方が広がりつつあるのではないか。おそらくは、私たちの誰もがこうした生き方と多少とも関わりを持たずにはいないがゆえに、この問題については腰を据えて考えておくことが必要なのではないかと思われます。