イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

消えない懸念

 
 前回の記事で論じたことは、個人を超えた人間関係のレベルにおいても当てはまるのではないか。
 

 「わたしとあなたの関係においても、わたしの幸福という観点を除き去ることはできないのではないか。」
 

 わたしが無理をしながら、ただあなたの幸福だけを望むという関係は、遅かれ早かれ、いずれ支障をきたします。健全な人間関係は、わたしとあなたがそこから共に喜びを引き出すという場合にのみ望ましいものであるといいうるのではないか。
 

 私たちの国の場合、とくに消費者至上主義とでも呼ぶべき風潮が強くなっています。その結果、「消費者としては天国を生き、サービス提供者としては地獄を生きる」という、奇妙なダブルスタンダードのもとで日々の生活が営まれているという側面があるように思われます。
 

 この場合にも、社会の構成員全体の幸福のために、サービスを受ける側の快適さのみならず、働く側の幸福をも考慮に入れたほうがよいのではないだろうか。もちろん、このことは国全体の空気が変わってゆかないといかんともしがたいので、現実的には状況はかなり絶望的というしかなさそうですが……。
 
 
 
消費者至上主義 ダブルスタンダード エゴイスト 精神の税金
 
 
 
 マクロな話となると無限の鬱状態に陥るほかなさそうなので、二者関係のレベルに話を戻します。あなたの幸福とともにわたしの幸福を求めるということが望ましいとしても、これについてもやはり、適切なバランスをとることは難しい。
 

 わたしはあなたといて楽しいけれども、あなたの方はそうでもないのだろうか。わたしは、本当はあなたにいつも負担をかけつづけているのではないか。
 

 「楽しかったのはわたしだけなのではないか」というのは、大変に不安をそそる想像です。しかし、人間関係からこの憂鬱な不安を完全に取りのぞくことは無理そうだし、それをしたら今度は完全なエゴイストになってしまう……。
 

 こうした心配の大半は余計なものである場合もとても多いようですが、さりとてこの懸念は簡単に消えるわけでもありません。これはもう、人間関係に必ず伴う精神の税金のようなものだと考えて、とにかく支払いつづけるしかなさそうです。