イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

罪の普遍性テーゼ

 
 受け入れのモメントについては、次の点を思い起こしておくのが有益であるように思われます。
 

 「他者を糾弾しようとするわたし自身もまた、倫理的欠陥の持ち主にほかならない。」
 

 他者を人でなしであると宣告するためには、宣告する自分自身が「まともな人間」である必要がありそうですが、おそらく、誰でも自分自身の胸に問いかけてみる時には、なんらかの欠点を発見せずにはいられないものと思われます。
 

 そうなると、わたしはまず、自分自身が人でなし判定を受ける恐れがあるということになるのではないか。そうならないためにも、他者たちにめったなことを言わないようにしておかなくては、何よりも自分の身が危ないと言わざるをえない……。
 

 「どうしようもないわたしを受け入れてください。わたしもあなたを受け入れますから……。」
 

 身も蓋もない懇願ではありますが、仮にすべての人がこのような懇願の言葉を互いに口にするような世界がやって来るとすれば、その時にはこの世から不幸な炎上事故は消えてなくなるかもしれません。人類の全員に欠陥があるとすれば、欠陥を持っていることも不必要に気にやむ必要はないようにも思えてきます。
 
 
 
他者 炎上 罪 倫理 まともな人間
 
 
 
 罪の普遍性テーゼ:
 すべての人が、何らかの倫理的欠陥を持っている。
 

 確かに、このテーゼは経験と観察にもとづくものではないので、このテーゼが真であるかどうかは誰にも確証することができません。しかし、それでもこのテーゼが正しいのではないかという見込みに同意する人の数は少なくないのではないかと推測されます。
 

 さらに、もし仮にこのテーゼが偽であり、この世に倫理的欠陥のまったくない完璧な人間が存在するとしても、おそらくその人が他者に対して人でなし宣告を下すようなことはなさそうなので、いずれにせよそのことで地上の平和が乱されるのを心配する必要はなさそうです。
 

 たんなる憶測のようにもみえて、この罪の普遍性テーゼに異を唱えることは、実はきわめて困難なのではないだろうか。受け入れについてもっと掘り下げて考えてみるためにも、このテーゼについてもう少し考えてみることにします。