イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「ほぼア・プリオリに真」

 
 罪の普遍性テーゼ:
  すべての人が、何らかの倫理的欠陥を持っている。
 

 もう少し、この命題について考えてみます。
 

 自分自身が倫理的欠陥にまみれているので、書くのもはばかられるところがありますが、筆者はこれまで、倫理的欠陥のない完璧な人間に出会ったことがありません。おそらく、これから先もそういう人に出会うことはないのではないかと思います。
 

 罪の普遍性テーゼを反証するためには、完璧な人間が存在することをたった一度だけでも示すことができれば十分ですが、これは、きわめて困難なタスクなのではないかと予想されます。
 

 そして、「すべてのカラスは黒い」が、白いカラスが現れないかぎりはほぼ真とみなされるのと同じように、このテーゼも完璧な人間が現れないかぎりはほぼ真とみなして問題がないといえるのではないか。
 

 あとは言葉の使い方の問題になりますが、「倫理的欠陥をもつ」は「罪がある」と言い換えてもよさそうなので、これで「すべての人間は罪人である」という命題もまた真であるとみなせることになります。すなわち、この命題にしたがうならば、この世には罪人以外の人間は存在しないということになるわけです。
 
 
 
倫理 罪 炎上 普遍性テーゼ
 
 

 罪の普遍性テーゼ・改 ……①
  : すべての人間は罪人である。
 

 ここに、もう一つの命題を付け加えてみます。
 

 糾弾の不可能性テーゼ ……②
  : 罪人Aが、罪人Bを一方的に罪人として糾弾することには根拠がない。
 

 この糾弾の不可能性テーゼにも、おそらくそれほど反論はでないものと思われますが、この②と①から、三つ目のテーゼを導くことができるのではないか。
 

 炎上の無根拠性テーゼ ……③
  :たとえ何らかの倫理的過失を犯した人間がいるとしても、その人間を罪人として断罪し、個人または集団で非難の集中砲火を浴びせることには根拠がない。
 

 ③は①と②からの論理的帰結にほかなりませんが、このテーゼにしたがうならば、この世で起こるあらゆる炎上現象には十分な根拠がないことになります。倫理的過失の内容いかんに関わらず妥当するという意味では、このテーゼを「ほぼア・プリオリに真」、すなわち、ほぼ必然的かつ普遍的に真とみなせるように思われます。