イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

相対性をめぐるアポリア

 
 倫理をめぐる「融通のきかなさ」について、もう少し考えてみます。
 

 1. 倫理は時代と場所によって変化する、相対的なものにすぎない。
 2. 倫理は絶対的かつ普遍的なものであり、変化することがない。
 

 現代において圧倒的に支持が多いのは、おそらく1の方であると思われますが、この立場には無視できない危険があると言わざるをえないのではないか。
 

 相対的であるということは、究極的には根拠がないということです。相対的であるとは、「別の時代や場所ならまた異なった道徳があるかもしれないが、とりあえず今はこうなっている」ということを意味するからです。
 

 そうなると、1の立場に立つかぎりは、「『〜してはいけない』という決まりが成り立つのは、たまたま今この決まりが法律や掟として認められているからだ」ということになります。
 

 これは、「現状がかくのごとしであるから、かくのごとく振る舞え」という同語反復的なロジックであり、倫理そのものを掘り崩してしまいかねないのではないか。なぜなら、このロジックの裏を返すならば、「いま禁じられていることも、時と場合によっては本当は行ってもいいのだ」ということになりかねないからです。
 
 
 
倫理 人権 フィクション 哲学
 
 

 たとえば、今年のはじめにこのブログで人権について考えていた時期には、友人たちから次のような言葉を聞く機会が何度かありました。
 

 「わたし自身は人権はフィクションだと思ってますけど、フィクションでも皆が信じてくれていればいいと思います。」
 


 おそらく、人権というものは「皆が信じてくれていればいい」というくらいの気持ちで守り通せるものではないのではないか。自分自身がただ哲学をしているだけなので、それほど大きなことは言えませんが、上の言葉は、豊かな先進国ですでに守られている立場からのものであると言わざるをえないのではないか……。

 

 くり返しになりますが、筆者自身が本当にどうしようもない人間なので、上のような立場を一方的に批判できるわけではありません。この辺りの事情についてもう少し掘り下げてみたうえで、1の立場にまつわるアポリアについてあらためて考えてみることにします。