ところで、世界の終わりというトピックに関しては、次のような論点を指摘しておくことは無益ではなさそうです。
「終末論者でありつづけるのは、容易なことではない。」
終末論者とは、世界の終わりが実際に差し迫っていると信じている人のことですが、言うまでもなく、人類は少なくとも今までのところ、終末なるものに直面したことは一度もありません。
今日にもこの世に終わりが訪れるかもしれないと信じつづけながら生きるというのは、年月を重ねれば重ねるほど緊張がゆるむ危険が増してきます。「今日まで来なかったのだから、明日も来ないだろう」という思考は、それと意識しなくとも、終末論者の心の中において次第に膨らんでゆくからです。
「油断してはならない。世界は明日にも終わるのだ。」しかし、鳥たちは今日も空の下で朝日の光を浴びながらさえずっている。見たところ、この世の終末の到来を信じている人の数は、ほとんどゼロに近いのではないかとさえ思えてくる……。
終末論者が注意しておくべきなのは、彼あるいは彼女は、つねに自分自身に対して欺瞞をはたらく可能性にさらされているということです。
わたしはこの世の終わりの到来を、本当に信じているといえるのか。
来年の今ごろはどうしているだろうなどと考えているようでは、果たして本物の終末論者であるといえるのだろうか。来年など、来ないかもしれないのだ。自分では「終わりは近い!」と警戒しているつもりでも、ひょっとすると自分でも気づかないうちに、日常は続いてゆくというあの払いのけがたい信念に飲み込まれていっているのではないのか……。
日常の力というのは恐ろしいもので、いったんは終末の到来に覚醒したつもりでも、いつの間にかALWAYS三丁目の夕日主義者に宗旨替えしているという可能性はつねに付きまといつづけます。カタストロフを忘却しようとするこの力については、その執拗さをいくら強調してもしすぎることはないように思われます。