イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

地獄についての筆者個人の見解

 
 地獄についての考察からは、次のような帰結を引き出すことができそうです。
 

 「人間は、自分が口にする言葉には気をつける必要がある。」
 

 この場合でいえば、例えば、次のような言明は避けたほうが無難なのではないか。
 

 地獄についての不用意な発言例その1:
 「地獄行きでもいいから、とにかく死にたいんです!」
 

 すでに論じたように、仮にこの発言をした人が本当に地獄に行くことがあるとすれば、その人はまず間違いなく後悔することでしょう。地獄の苦しみは半端なものではなさそうなので、もしその実在を信じていないとしても、滅多なことは言わないほうがよさそうです。
 

 地獄についての不用意な発言例その2:
 「お前なんて、地獄に落ちろ!」
 

 巷でもよく聞く(?)セリフではありますが、第二の死の内実を考えたとき、この言葉はある意味で「死ね」よりも強烈です。「地獄に落ちろ」にしろ「死ね」にしろ、実現してしまったらあまりにもシャレにならなさすぎるので、たとえ冗談であるにしてもなるべく口にするのは控えておいたほうが賢明なのではないかと思われます。
 
 
 
地獄 死 第二の死 信仰 イエス・キリスト
 
 

 地獄についての不要な発言例その3:
 「地獄なんて存在しないから、大丈夫ですよ!」
 

 信仰者としては大変に難しいのが、地獄をめぐる態度決定の問題です。
 

 正直に言って、筆者個人についていうならば、地獄が実在するとは思いたくありません。自分が行くことを考えると発狂寸前の気分に襲われるうえ、他の誰かが行くことを考えるだけでもあまりにもタブー感が強すぎて、思考停止したくなる衝動に駆られます。
 

 ただし、このことについては自分の望みを通すわけにもゆかないので、何があっても大丈夫なように、すべてを受け入れる準備をしておく必要がありそうな気もしています。
 

 したがって、「信じないと地獄に行きますよ!」とは間違っても言えませんが、発言例その3のように「信じなくとも大丈夫ですよ!」とも絶対に言えません。向こうの世界のことは、人間には荷が重すぎて責任が取れなさそうなので……。
 

 したがって筆者としては、とりあえず自分自身は主なるイエス・キリストの救いに頼ることにしていますと言うほかありません。この道を隣人たちにも押しつけにならない範囲で最大限に強く勧めつつ(もっとも、最後のところで事情が人間の裁量を完全に超えることはいずれにせよ否定すべくもない)、あとはお互いの死後の無事を祈りあうほかなさそうです。