イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

虚空での独白

 
 「ブロガーは、アクセス数を気にするべきか。」
 

 最近、僕はふっ切れてきたのである。ぶっちゃけて言えば、最初の頃はアクセス数とかもっと気にしてたけど、時を経るにつれて、だんだん気にならなくなりつつあるのである。
 

 ていうか、より正確に言うと、哲学でメガアクセス狙うのとかって原理的にムリという事実を、ようやく受け入れたのである。ひょっとしたらそういうことができる人もいるかもしれないけど、僕にはムリなのである。
 

 では、何を書くべきであろうか。それは言うまでもなく、真理であろう。哲学者が、それ以外の何を探求すべきであろうか。しかし、ここで疑問が生じてくる。
 

 「仮に何らかの真理を書き続けたとして、その結果アクセスがゼロに近づいてゆくとすれば、どうすればいいのか。」
 

 たらればの話であるとはいえ、これは寂しすぎるのである。というか、今はどこかの虚空で独り言を言っているだけであるとはいえ、ぶっちゃけて言おう。今も僕は、こういうこと書いててアクセスが激減したらどうしようと思うと、かなり不安なのである。いや、もともとわずかなものではあるんだけど、それすらもなくなってしまったら、僕はどうやって生きてゆけばいいのであろうか……。
 
 
 
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 あらためて言うが、それでは寂しすぎるのである。しかし、有村架純ちゃんなら寂しいって書くだけで10万アクセスくらい来るかもしれないとしても、三十二歳の男が寂しいって書こうとも、同情票はどうにも集められないのである。
 

 いや、僕は真実を追い求める哲学徒のはしくれとして、あえて告白しよう。僕は僕の寂しさを、わかってほしいのである。日本で、というか世界中で哲学って、わりと行き詰まってる。砂漠で叫び続けてるみたいなこの記事を、誰かに見つけてほしい。そしてどうか僕を、愛してとは言わない、どうにか我慢して受け入れてはもらえまいか……。
 

 気がついたら独り言のはずが、誰かに向かって呼びかけていた。落ち着いて、哲学的考察としてもう少し冷静かつ分析的に考えねばならぬ。しかし、読まれることについて書くというこの自己再帰的な企てにおいて、ひとはただ冷静かつ分析的でいられようか……。