イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「その道は、険しく長い……。」

 
 尊敬という本来の主題に、戻ることにする。
 

 「尊敬すべき人間とは、どのような人か。」
 

 どうやったら尊敬されるか、という問いを考えるより先に、こっちを考えておくべきだったような気もする。さて、この問いに対する答えとは、どのようなものであろうか。
 

 これはそれこそ、人ごとに違う答えがあるように思われる。僕個人の答えになってしまうが、とりあえず書き出してみる。
 

 1. 愛のある人。
 

 これは僕的には、外せないのである。愛は偉大なり。ただし、愛とは何かという問いに対する答えは、必ずしも自明ではないが……。
 

 2. 知恵のある人。
 

 これは哲学徒を名乗る以上、外せないであろう。ただ、僕は自分が哲学を学び始めた時とは、「知恵のある」の理解が違ってきてるなーと思わずにはいられない。
 

 頭がキレキレしてるとか、そういうのではないのだ。まぁ、キレキレしているというのもカッコいいのではあるが、むしろソクラテスとか孔子とかそういう人たちの方が、やっぱりずっとカッコいいのではないかと思うのだ。ということは、三つ目の条件として、やはり次のものは外せないのであろうか。
 
 
 
 尊敬 愛 知恵 人の道 ソクラテス 孔子 ドゥルーズ=ガタリ 金八先生 自然哲学 哲学徒
 
 
 
 3. 人の道を示す人。
 

 こ、こ、これである。そういう人がいるとすれば、その時には本当に尊敬するしかないのである。これが人の道だとバシッと示し、なおかつ説得力もあるみたいな人がいるとすれば、もはや降参するしかないかもしれぬ……。
 

 人間としての真の道とは何ですかと真剣に問いかけた時、その問いに真摯に受け止めてくれる師を、哲学徒は求めているのではなかろうか。この世に、この問いに大真面目に答えてくれる人はいるのか。先生、人間としての本当の道とは何ですか。
 

 知らねばならぬ、追い求めねばならぬ。昔はもっと他のことも知りたかった気もするし、今も知識欲がないではないが、この問いは、哲学徒のうちでだんだん大きくなってゆかざるをえないのではなかろうか。ドゥルーズ=ガタリの自然哲学は今でも眩しいが、しかし、僕の突き進むべき道はやはり、ドゥルーズ的というよりはむしろ金八先生的な方向なのであろうか……。