イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「あの曲は、実は……。」

 
 しかし、再臨についてさらに考えてみる前に、先に検討しておかねばならぬことがある気もする。
 

 伝道に関する一事実:
 福音を伝えきる前に、コミュニケーションの回路を切られてしまったら終わりである。
 

 いやこれ、ホント難しい問題だと思うんよ。まず大前提として、聖書という本には、世界の終わりなる主題について、紛れもなくしっかりと書かれているわけである。
 

 ていうか、ひと昔前まで(一部は今も)そういう本が、ほとんどどのホテルの部屋の引き出しにも入っていたというのは何気にすごいことのような気もする。あるいはあれね、ヘンデルの『メサイア』とかね。
 

 『メサイア』って名前は知らないかもだけど、ハレルヤコーラスはほとんど全ての人が聞いたことあるのではないかと思う。ハーレルヤ!ハーレルヤ!ハレルヤ、ハレルヤ……みたいなやつである。ていうか、一人で歌ってるのとかめっちゃ不安になるから、いちおうここにYouTube動画を貼りつけておくのである。
 
 

ヘンデル/メサイアの「ハレルヤ」コーラス

 
 
 
 朝の通勤なんかで聴いたら実に優雅な気分になれそうな名フレーズである。この動画にも写ってるけど、この曲を作ったヘンデルの容貌もいかにもヨーロッパ近世貴族といった感じで、山田ルイ53世とひぐち君を彷彿とさせるような、まことにルネッサンスな気分にさせられる(正確にはルネッサンスというよりバロックだが、これは単に髭男爵の話をしたかっただけである)。
 

 しかし何気にこの曲、終末について語っている『ヨハネの黙示録』の、まさにその終末を祝している箇所を音楽にしたものなのである。この曲はいわば、ヨーロッパ終末音楽の永遠の傑作というわけなのである。
 

 んで、何が言いたいのかというと、まああれだ、終末っていっても決して怪しい話ではないんよというか、でもぶっちゃけ終末やっぱり来るから悔い改めて救い主なるイエス・キリストを信ぜよというか、いやごめんどさくさに紛れて結構踏み込んじゃったけど、いちおう福音的にはそういうことになってるからとりあえず書いとくねというか、とにかくそんな感じなのである。
 

 あとは本題とはあんまり関係ないけど、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』なんかは、現代的なアプローチで終末の問題に切り込んだ名作戯曲であると言えそうである。それにしても、こういう点を鑑みるにつけても、ヨーロッパの芸術と終末論的想像力は決して切り離せないということをあらためて確認させられる。
 
 
 
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