イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

その名はインマヌエル

 
 最も有名な預言のひとつとして、『イザヤ書』7章のものを取り上げてみることにする。
 

 インマヌエル預言:
 「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」
 (『イザヤ書』7章14節)
 

 いわゆるインマヌエル預言である。ここで語られているのは、神の側からユダヤ人たち(より広くは人間)に対して、ひとりの幼子が与えられるということである。
 

 ユダヤ人たちは、彼らのもとにやって来る神の子、すなわちメシアがこの世を救い、揺るぐことのない国を打ち立ててくれると信じていた。現代の視点からすると、一民族としてこういうことを信じていたということ自体、ものすごいことのような気もするが、さらに驚くべきなのは、この信仰の中から一民族を超えてキリスト者たちの流れが生まれてきたという歴史的事実の方かもしれない。
 

 キーワードはやはりメシア、救世主である(ギリシア語でキリスト)。このインマヌエル預言をはじめとして、旧約聖書の中にはメシアの到来を予告していると解釈できる箇所が何百とある。このインマヌエル預言もまた、新約聖書の『マタイによる福音書』の冒頭で取り上げられていることからもわかるように、他でもないイエス・キリストの誕生を前もって告げたものであると解釈されつづけてきたのである。
 
 
 
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 このインマヌエル預言は、イエス・キリストの誕生の数百年前になされたものである。
 

 もちろん、この預言については単体でみれば、たとえば「キリスト者の解釈は単なるこじつけだ」という批判をぶつけることもできないわけではないが、とりあえずのところは「へー、預言の成就ってそういう感じで捉えられてるもんなのね」と思っていただければ、ありがたいことこの上なしなのである。
 

 インマヌエルとは、「神、われらと共に」という意味である。神が私たち人間のために、ひとり子であるキリストを与えてくださった。これが仮に正しいとすれば、この事態はまさしくインマヌエル以外の何であろうか。僕個人の例でいうと、御茶ノ水のショップで買った”IMMANUEL”って書いてあるクリアファイルが宝物だった時期もあるくらいなのである。
 

 来月はいよいよクリスマスだけど、このインマヌエルの意味を再びしっかりと嚙みしめる機会にしたいものである。それにしても、インマヌエルインマヌエルって言いつづけてたら、ゲシュタルト崩壊を通り越して、脳内がインマヌエルに侵食されそうな気分になってきたことは否めない。