イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

着実に減っている

 
 預言の成就についてはひと段落したので、この辺りで少し立ち止まりつつ、このブログに関する問題について考えてみたい。
 

 『イデアの昼と夜』に関する一事実:
 福音について本格的に書きはじめて以来、アクセスはゆっくりと、しかし着実に減少している。
 

 分かってはいたことである。今のこの時代、キリスト教を伝えるというのがいかに難しいかは、理屈を超えて感覚的に納得せずにはおれないところである。
 

 ましてや、自分からキリスト教について学びたいという人、すなわち求道者の数が少ないというのは、もはや当たり前の事実と言うべきかもしれない。昔は「ちょっと教会に行ってみよう」みたいな人がずいぶんいたらしいけど、今はそういう人が大変に少ないということは、僕もここ数年の日々の中で実感させられているのである。
 

 しかし、である。
 

 キリスト者の認識:
 神はいつの時代でも、神の呼びかけに応える人を起こされる。
 

 そうなのだ。前にも書いたけど、それがいかに少数者であろうとも、苦しんだり真剣に考えたりしながら真理を求める人間というのは、いつの時代にもいるはずなのだ。それを思えば何も恐れることはないはずなのだが、しかし……。
 
 
 
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 うおおおおおおぉ!わからぬ。これが俺の進むべき道なのか。アクセスを気にせず、このまま福音伝道に突っ走るべきなのか。それとも、さすがに読まれなくなった意味ないから少しは抑えてゆくべきなのか……。
 

 しかし、今さら抑えるべき理由とはなんだ。
 

 いきなり自問自答モードに入ってしまった感は否めないが、やむを得ない。俺は最近になってようやく、このブログに関してすべてを諦めつつある。ぶっちゃけて言う。ブログを書きはじめた時は、ニッチなブログでも、いつかは哲学界で知られたいと思いながら書いていたものだった。
 
 
 が、キリストについて書きはじめた今、もはやそんな目標は吹っ飛んだのである。目指すべきは神の国である。俺はもはや完全に吹っ切れた、はずであった。
 

 だが、このままアクセスも減ってゆき、さらにはツイッターのフォロワー数すら無視できん勢いで減っていっているこの状況下でも福音を語り続けることが、俺のなすべきことなのか。
 

 だがこの点については、祈るほかあるまい。もうちょっと色々気にせず書きまくりたいところだが、すでに字数も若干オーバーしたゆえ、今日はとりあえずここで中断するほかあるまい……。