イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

Sorry,Barbara……

 
 わたしは今のところバーバラへの忠実(前回の記事参照)を守り通せていますが、運命への信頼がひとたびぐらついてしまうとなれば、その安全も危うくなってしまうかもしれません。
 

 「わたし、あなたのことが好きなの。あなたにはバーバラがいるって分かってる。でもわたし、あなたのことを考えてるだけで、頭がおかしくなりそうなの。」
 

 ああエマ、そんなことを言わないでくれ。だが、実は僕も最近、わからないんだ。前はバーバラこそが運命の人だって思っていたけれど、今は……。だが、もうよそう。出張先のカフェテリアで食事を済ませて、もうこれからお互いの部屋に戻ろうって時に出す話じゃない。僕も君も、ただ疲れてるだけさ。
 

 「ごめんなさい、わたし、どうかしてるのかもしれない。ねえ、でも、これだけは聞かせて。あなたはわたしのこと、全く愛してないの?」
 

 もうやめよう、エマ、今なら僕も君も、ただの上司と部下でいられる。だが、これ以上は本当に危険だ。さあ、もう戻ろう。明日の飛行機に乗る頃になればこの話も、もっと落ち着いて考えられるようになっているはずだよ。
 

 「わかったわ。でも、もう少しだけでいいから話を聞いてほしいの。ごめんなさい、悪いんだけど、ほんの少しでいいからあなたの部屋で話させてくれない?」
 

 エ、エ、エマ、それはまずいよ。他の何がよかろうとも、部屋だけはまずい。あ、でも、明日のフライトのe–チケットを一応今のうちに渡しておいた方がいいかもしれないから、ちょっとだけ来ちゃう……?
 
 
 
バーバラ エマ ボストン スコティッシュ・フォールド eチケット サンドウィッチ 必然性 偶然性
 
 
 
 こうして、翌朝、ボストンはクラブ・クォーターズ・ホテルのベッドの上で目覚めたわたしは、横でミルクを飲んだ後の子猫のように眠っているエマ(当然、彼女は何も着ていない)の姿を見て、愕然とすることになります。部屋に通してしまった時点で負けしかないのは自分でも分かっていたはずですが、今となってはどうしようもありません。賽は投げられてしまいました(時刻はAM6:30、外には雪がちらついている)。
 

 どうして、こんなことになってしまったのか。バーバラこそが自分の運命の人だという最初の確信を持ち続けていたとすれば、もう少しはどうにかなっていたかもしれません。今から思えば、「サンドウィッチをご一緒させてくれないかしら?」という昨夜のエマの言葉も罠だったような気がしてきます。いや、わたしは本当は心のどこかでそれが罠かもしれないと知りつつ、曖昧にうなずいてしまったのでした。
 

 しかし、この時点に至ってもなお、バーバラこそが永遠の妻であるという確信に踏みとどまることができるならば、ひょっとしたらまだ遅くはないのかもしれません(無論、傍らのシーツにくるまっているスコティッシュ・フォールドをどう説得するのかという問題は残る)。本当にどうしようもなく致命的なのは、わたしがこれから年下のエマにぞっこんのめり込んでゆき、すべてのなりふりを気にしなくなっていってしまう場合です。
 

 必然性と偶然性という概念はかぎりなく抽象的なものに見えて、実はこうした具体的な人生の場面の成り行きを左右しかねないのではないか。次回はもう少しこの点を掘り下げて考えてみることにしますが、実際の筆者の貞操に関する意識はこの架空の「わたし」よりもはるかに高く、どんな年下の女性に迫られようとも動かないこと鉄壁のごとしであるのは言うまでもありません(本当です)。