イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

青の色彩、仮象あるいは実在としての

 
 ところで、「社会なんてもうイヤだ」という叫びに対しては、次のような論点を考えておくことも必要であるかと思われます。
 

 社会の問いに関する一論点:
 どこか別のところによりよい場所があるという可能性は、常に存在している。
 

 職場の例で言えば、仮にある人の職場が様々な面から見て非常にドス黒いものであるとしても、他の職場はよりホワイトであるということは十分にありえます。もしそうであるとすれば、「社会なんてもうイヤだ」と叫ぶよりも、職場を変えてしまうほうが場合によっては有益かもしれません。
 

 もちろん、この世においては職場というものはほぼ例外なくドス黒いものであるという悪夢のような可能性も論理的にはなくはないので、判断は難しいところですが、もっとよい場所がどこかにあるのではないかという希望もまた、簡単に否定することはできません。
 

 現代で言えば、ブータンや北欧の国々は、幸福度の高い国として人々の羨望の的であり続けています。もしこの羨望が仮に道理にかなったものであるとすれば、私たちは、生まれてきた時点から相対的に見てアンラッキーであったということになるかもしれません。
 

 住む場所を変える、あるいは国外に移住するというのは非常に労力のいることですが、いわゆる実存論的ワンチャンに賭けてみるというのも一つの選択です。繰り返しになってしまいますが、もちろん人間と社会に対するさらに深い絶望に襲われるということも十分にあり得るので、判断が難しいところではありますが……。
 
 
 
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 いやもうね、僕ぶっちゃけて言うと、日本人とかもうホントうんざりなの。全然思ってること言わないし、考えるのキライだし、狂ってるんじゃないかってくらい働きまくってるしさ。ごめん、僕は僕でダメ人間の極みだってことも、自分ではわかってるつもりなんだ。僕みたいな人間って一体、どうやって生きてゆけばいいんだろうね……。
 

 上のような悩みを抱いている人がその悩みに対してどのように判断を下せばよいのかは、極めて難しい問題です。その人のいる環境に問題がある、日本に問題がある、その人自身に問題がある、人間社会なるものそれ自体に問題があるといった様々な可能性があり、田舎に引っ越して第二の人生を始めればよいのか、帰化してブータン人になればよいのか、その人自身が悔い改めるべきか、そもそもこの世には希望が何もないのかは、誰にもわかりません。ただ、月並みな結論にはなってしまいますが、今いる場所がすべてではないということは、どこかで心に留めておいてよいことかもしれません。
 

 「隣の芝は青い」という諺がありますが、青く見えているのはただの仮象なのか、それとも、わが庭は実際に悲惨であるのか。なお、筆者個人に関して言うならば、以前はアクセスの多い他ブログがイヴ・クラインのキャンバスのごとく真っ青に見えていましたが、最近では完全なる諦念と悟りの境地に達し、虚無とすれすれの低アクセスを叩き出し続けるという己のスタイルを貫き通す覚悟が定まりつつあります。