イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

歯車は回り始めてしまった

 
 論点:
 恋愛の体験は、他者を理解するという行為へと人を向かわせる最も大きなきっかけの一つである。が、しかし……。
 
 
 人間は大抵の場合には、身の回りの他者たちがどのような人間であるのかについて、実はそれほど大きな関心を抱いてはいないのではないだろうか。
 
 
 たとえば、Xという人物についても、自分にとって好きか嫌いかという判断を下しただけでは、X氏のことを理解したことにはなりません。理解するとは、ある意味では好き嫌いの世界を抜け出ることであり、ここで問題となっているのはX氏を賞賛することでも非難することでもなく、ただX氏を、彼がX氏という人間であるがままに知ることだからです。
 
 
 ところが、人間は他者を理解するかわりに、他者に憎しみを抱いたり、あるいは熱烈に愛したりします。後者の場合、特に問題がないようにも思えますが、相手への熱狂が相手に対する深い理解に基づいていないとすれば、その熱狂は迷惑行為に、あるいは暴力にさえ転化しかねません(ex.芸術家やアーティストは往々にして、彼あるいは彼女の「崇拝者たち」の無理解が理由で鬱状態に陥る)。
 
 
 恋愛においては、もはやそういうわけにはゆきません。恋する人は、「あの人は、私のことをどう思っているのか?」と絶えず問わないわけにはゆかないでしょう。かくして、恋する人は「私の好きなあの人」について、果てることのない探求の迷路に入り込んでゆくことになります。
 
 
 
恋愛 天国 地獄 キリングフィールド 鬱
 
 
 
 高校生のA君にとっては、異性という存在はいわば宇宙人のようなものなので、彼にできるのはただ、想像力を可能な限り動員しつつ仮説から仮設へと飛び回ることくらいなのかもしれません。しかし、その想像力にしても、恋愛体験に必然的に伴う精神錯乱によって、異様にポジティブな方向へと決定的に屈折させられているので、正常に働くことは極めて難しそうです。
 
 
 おそらく、A君は船越さんに徹底的にのめり込んでゆく前に、もう少し彼女のことを客観的に知ろうと努めるべきでした。
 
 
 そうすれば、彼女が実は恋愛経験の少ない男どもを次から次へと精神的に殺害することにやる気と生きがいを感じている筋金入りの危険人物であること、彼女の地味な外見は見せかけにすぎず、彼女が今の時点で化粧という習慣にそれほど大きな注意を払っていないのは、高校生の段階ではノーメイクのままでいることが虐殺の妨げにはならず、むしろ、場合によっては好都合にさえ働くことを彼女が半ば無意識のうちに理解しているからであること、歴史部の男子部員の相当数が既に彼女によって殺されており、A君の高校の歴史部が校内でも他に例を見ないほどに凄惨なキリングフィールドと化していることまでは分からなくとも、そうしたさまざまな事情のかすかな兆候くらいは掴むことができたかもしれません。状況は覆水盆に返らずとしか言いようのない方向に向かって突き進んでいるようにも思われますが、当のA君はまだ、自分が向かっているのは地獄ではなく天国であると深く思い込んでいるようです(「うふふ、『私の字、汚くなかったですか?』なんて、そんなこと全然ないよ、船越さん……」)。