イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

他者理解についての探求の終わりに

 
 今回の探求の暫定的結論:
 私たちは、他者を理解することを諦めるわけにはゆかない。
 
 
 「知っている」と思い込むことは致命的に危険ですが、「知らなくてもいい」と放棄してしまうことも、決してよい結果をもたらしません。どれだけ果てしのないものであろうとも、私たちは、隣人について知るという務めを投げ出してしまうわけにはゆかないのではあるまいか。
 
 
 船越さんは、いわゆる「感じのよい女の子」ではなかった。それならば、彼女は一体何者なのか。
 
 
 こうした問いは結局のところ、「人間とは何か」という問いにもどこかでつながっています。人間とは何者で、何を望み、何を求めているのか。筆者には、哲学とはつまるところ、この意味における人間性の探求に他ならないのではないかと思われます。
 
 
 したがって、「わたしには、他者であるあなたの存在にどこまで近づくことができるのか?」という最初の問いに対しては、「どこまで近づくことができるのかはわからないけれども、わたしは、あなたに近づこうと努め続けなければならない」と暫定的に結論を出しておくことにしましょう。
 
 
 この結論は、ほとんど答えになっていないような答えではあります。しかし、この問いを問い続ける中で私たちが見てきたさまざまな風景こそ、この問いを問うことが無意味ではなかったことを証しているのではあるまいか。哲学においては、結論そのものよりもむしろ問いの過程こそが重要であるという立場は、探求を重ねるにつれて、筆者にもますます納得されるものになってきています。
 
 
 読んでくださって、ありがとうございました!次回からはまた別の探求に取りかかることにしますが、他者理解という主題には、またいずれ立ち戻ることにしたいと思います。
 
 
 
他者 人間とは何か 他者理解