イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

死について考える

 
 今日から新しい探求に入ろうと思うのだが、今回のテーマは、以下のものとしたいのである。
 
 
 問い:
 哲学者は、死についてどのように考えるべきか?
 
 
 めちゃくちゃ暗い問いではある。僕も、最近はひたすら真面目かつ無味乾燥なものを書き続けてきたので、たまには気楽なものを、ていうか、近年稀にみる大興奮必至傑作『スター・ウォーズ  エピソード9』についてでも書こうか、と思っていたのである。
 
 
 いや、余談ではあるが、エピソード9はもはや最高としか言えないくらいのマスターピースでしたよ。ある知人の言を借りるならば、まあ百点満点で言えば四千億点くらいだったよね。7で完全に絶望し(あれは、惑星ムスタファーで暗黒面に堕ちたアナキンに向き合うオビ=ワンのような心持ちであった)、8は見る気すらも起きずにスルーしていた(ぶっちゃけ、周囲の悲鳴まじりの評判からして今も「なんだかイヤな予感がする I have a bad feeling about this」ので見ていない )のだが、9はただただ落涙でしかなかった。最高だよ。マスター・ウィンドウだ。僕はこの時代を生きる人間の一人として、この作品に出会えたことを光栄に思う。
 
 
 非常にマニアックな層に向かっての呼びかけにはなってしまうかもしれないが、僕と同じく、7で絶望したという筋金入りのSWファンがもしいたとしたら(友よ、君はきっといい人だ)、ぜひ言いたい。
 
 
 今ならまだ間に合う。僕は君にぜひ伝えておきたいのだが、エピソード9のエンドロールのキャストにはなんと、イアン・マクダーミドの名前がクレジットされているのである。イアン・マクダーミドだ。僕はこの名前だけで、君を劇場まで駆け込ませるに十分だと信じている。反乱軍はもう一度、アウター・リムに集合だ。もう一度だけ言うが、これを最後とばかりに最強のハイテンションで大暴れしまくるイアン・マクダーミドの姿を、決して見逃してはならぬ……。
 
 
 
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 というわけで、僕としてはもう永久にでもSWの話を続けていたいというくらいのテンションなのではあるが、さすがに、去年あたりから本格的に掘り下げはじめた哲学の探求をさぼるわけにもゆかぬので、次回から新しい探求を始めることとしたいのである。
 
 
 「哲学とは死の学びである」とは、プラトンのよく知られた言である(『パイドン』)。
 
 
 ある哲学が死に対してどのようなスタンスを取るのかということは、その哲学を評価するための試金石とも言いうるのではないか。僕個人としては、本物の哲学はやはり、死に正面から対峙するものなのではないかと思わずにはいられないのであるが、「生きている時だけが重要である」というスタンスもまた、それはそれで死に対する向き合い方の一つなのかもしれぬ。ともあれ、当ブログでもこの機会に、この沈鬱で重苦しい(ように見える)主題について考えておくこととしたいのである。
 
 
 ただし、毎回のようにお通夜なムードで粛々と進んでゆくのもあれなので、しばらくは明るく楽しく(?)考えるように心がけておきたいところではある。なお、筆者は現在、年末に銀幕で輝くジェダイたちの勇姿を目撃してSW熱に再び火がついて以来、元旦にはもう一度9を見に行き、最近でも脳内でテーマ曲が爆音で鳴り響き続けているという体たらくであるため、記事の中にジェダイとかシスとかライトセーバーとかがやたらと出てきたとしても、重度の中毒患者の発作としてご容赦いただければ幸いである。