哲学の話になったついでに、少しだけ脱線しておくことにしたい。僕は今日(2/13)、久しぶりに哲学の研究会に参加してきたのである。
「……なるほど。」
いや、よかったよ。ソクラテスとかカントとか、レジェンダリーな先人たちについての発表を聞いていて、やはりわが人生を賭けるものはこれしかないと思わされたのである。最高だよ。SWも確かに最高中の最高ではある(今日は、最後の戦いでライトセイバーを投げ捨てるルーク・スカイウォーカーの姿を見た。感涙である)のだが、僕自身の戦場としてはやっぱり、哲学しかないと思わされた一日であった。
「……よかったですね。」
自分が死ぬ前に、何を残せるか。改めて思ったが、僕はやはり、哲学で何かを残すことに挑戦するほかないのだ。
信仰者としてはもちろん、伝道が第一である。しかし、このブログでも色々書いてみたりした後に思ったのは、哲学と伝道とは矛盾しない、というか自分的には、哲学について書くことが即伝道なのであるという結論が今のところ出ているのである(cf.第一コリント書、9:19-23)。救いはキリストにあり。興味をお持ちの方はぜひ、聖書を読まれたし。
話が若干逸れたが、とにかく哲学である。僕はもう、割と前にふっ切れた。どれだけ愚かであると思われようとも、哲学の歴史に勝負を挑み続けるぞ。でかい目標を持てただけでいいではないか、そこまで辿り着けるかどうかは問題ではないと、プラトン先生も言っている。だが、そう簡単に諦めていいかどうかは、また別の問題である……。
いつものことではあるが、めちゃくちゃ個人的な話になってしまって、申し訳ない限りである。だが、これを読んでくださっている絶対的少数者の方々には、死の可能性を眺めやりながら本来性に向かって奮起する一人の人間の実例をとにもかくにも見たということで、ご容赦いただければ幸いなのである。
僕はいつか死ぬ。いつ死ぬかと思うと、怖くて怖くておしっこちびりそうだが、だがしかし、今は生きている。はるか未来の若者よ、君は今、これを読んでいるか。僕は、君におしっこちびらせるくらいにものすんごい哲学を打ち立てようと、日々地味に奮闘中だ。
今年で三十五歳になろうとしているが、シャレにならんくらいの低収入である。おまけに、うだつが上がる気配と見込みもない。だが、僕は幸せだ。哲学ってすばらしいなあ。哲学に出会えて、本当によかったのである。このまま人生が続くと先がやばいんじゃないかという気もするが、しかし、これこそが残念ながらも栄光に満ちたわが人生なのである。
書いていて、涙が止まらないのである。なんかもう人生どうにもならなくていいかなというくらいに、プライスレスな気分なのである。今回は本当に自己完結な感じになってしまって申し訳ないのではあるが、若者よ、これを読んでくれていたとしたら、ありがとう。君の人生が、哲学に祝福されたものであることを祈る。