イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ラーメン屋のおじさんの思い出

 
 論点:
 いつか死ぬということを心に留めるとき、人間にできるのは、ただ天から自分に与えられた務めを果たすことだけである。
 
 
 たとえば、僕個人の例でいえば、ここでこうして二日に一回ひとりで語り続けているのは、僕はこれが自分に天から与えられた務めなのではないかというのを(きちんと果たせているかどうかは別として)、今はかなり本気で信じている。
 
 
 ぶっちゃけて言えば、というかぶっちゃけるも何もないんだけどさ、このブログって、アクセス数なんてもう全然ないわけである。まあ、哲学みたいなジャンルで高アクセスだったらかえってうさんくさいみたいな側面もあるとは思うのだが、まあそれでも、ほんと全然閲覧数は少ないわけである。
 
 
 でも、数は少なくてもありがたいことに、僕が書いたものを読み続けてくれる人はいる。いやほんと、特にここ数年は好き勝手に書き続けてるだけだから、読んでくれている人がいることには、(いつもながら)ただ感謝というほかないのである。
 
 
 そのことに関連して、なぜ僕がいつも記事の中で「若者よ」と呼びかけてしまうのかを昨日からずっと考えていたのであるが、とりあえず出た結論としては、それが哲学を学び続けてきた自分の務めなのではないか、というか、務めであってほしいというのがあると思うのだ。
 
 
 これもいつも言ってることではあるけど、哲学やりたいな、あるいは哲学を勉強したいなと思ってるけどまだ人生の道を迷ってる人って、数は少なくても、いつの時代にも必ずいる。とか書いていたら、もう十年以上も前に一度だけ話をしたことのある、とあるラーメン屋の店主のおじさんのことを思い出したのである。
 
 
 
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 そのおじさんは、なんかやたらに個性的な人で、僕と僕をそこに連れていってくれた人で食べている間にもなんかずっと色んなうんちくをしゃべり続けてたんだけど、当時の僕が大学で哲学を勉強し始めたことを話したとたんに、やたらニコニコしながら「へえー、哲学やってるの」と言い続けていたのである。
 
 
 「言い続けていた」というのは、文字通りその言葉を繰り返し続けていたということで、おじさんはほんとやたら晴れやかな顔で「へえー、哲学やってるの」と「哲学はいいよね」を連呼し続けていた。当時もそう言ってもらって嬉しくなくはなかったけど、今の方が当時よりもおじさんの気持ちがよくわかるような気がする。
 
 
 若者が哲学の道に進んでゆくのって、すばらしいことである。これだけは、何十回、何百回言っても言い足りない。いや、僕も大学入った頃には、いつもおんなじこと言ってる大人の気持ちが全然わかんなかったけど、今はほんとよくわかるなー。若者が哲学の道に進むって、ほんといいことだなー。
 
 
 書いていたら、なんかもう人生オールオッケーな気がしてきたけど、僕にはまだ、哲学史そのものに闘いを挑むという見果てぬ目標が残されているのである。全国若干名の同志よ、僕はやる。ごまかしの一切きかない厳しい真理の闘いを耐え抜いて、本物の中の本物の哲学を打ち立てるその日まで、ただひたすらに読み続け、書き続けるほかないのである。同志よ、僕が僕の闘いを、そして、君が君の闘いを、最後まで闘い抜くことができるように……。