イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「彼を選んだ君は、間違ってはいない……。」

 
 目下の議論とは関係ないのだが、前回の例は筆者の哲学にとって非常に重要なものなので、もう少しだけ論じておくことにしたい。のび太くんというキャラクターにおいてわれわれがしっかりと考えておくべきは、のび太くんの弱さは強さへと止揚されることなく、どこまでも弱さとしてとどまり続けているという点である。
 
 
 「……といいますと?」
 
 
 つまりね、「最初はダメダメだったけど、困難をくぐり抜けることを通してだんだんと強くなっていった」タイプのストーリーだと、結局は強さが、すなわち力能が肯定されているということになってしまいかねない。ところが、われらがのび太くんの場合、たいていは最初から最後までもう一貫してダメダメで、ただずっと、例の青い相棒の助けを求め続けているだけである。そして次の回になると、またダメダメで「ドラえも〜ん!」から始まるわけである。
 
 
 もちろん、ドラえもんが未来に帰ってしまうあの伝説の「最終回」のように、例外もなくはないので、『ドラえもん』の中に、「ダメダメだった少年が少しずつ成長してゆく」という要素がないわけではない。「最終回」の例でいえば、曲がりなりにもあののび太くんがジャイアンに戦いを挑んで勝つというのは、感涙以外の何物でもないのである。
 
 
 しかしだ。われわれの心の中には確かに、あのジャイアンに勝ったのび太くんの姿もしっかりと刻み込まれているけれど、その一方で同時に、われわれの中ののび太くんのイメージって、やっぱりどこかダメダメな、しかし愛すべきのび太くんのままであり続けているのではなかろうか。そして、あれだけの大人向けSF漫画を描く才能にあふれてもいた作者が心血を注いでダメダメなのび太くんの姿を描き続けたからには、おそらくその事実のうちにわれわれが受け止めておくべき極めて重要なメッセージがこめられていることは、もう間違いないのではないかと思われるのである。
 
 
 
のび太くん ドラえもん ジャイアン SF漫画 しずかちゃん
 
 
 
 「のび太くんを選んだ、きみの判断は正しかったと思うよ。あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」
 
 
 しずかちゃんがのび太くんのもとにお嫁に行く前の晩に、しずかちゃんの父が彼女に贈った言葉である。今さら言うまでもないけど、すごくいい言葉である。久しぶりにあらためて読んだけど、読んでいて文字通り涙が止まらないのである。
 
 
 筆者が哲学で最も強く言いたいことの一つは、「たとえ力能が全然なかったとしても、究極的には、存在してるだけでいいのではないか」というものである。哲学をやる上では力能も必要であることは間違いないとはいえ、最終的には「存在のみ」が、何もすることもできずにただ生きているという次元が本当は常に潜在しているということを、いつも忘れないようにしたいものであるなあ。
 
 
 私事にはなってしまうが、筆者自身も、いやもうほんとに将来どうにもならんかもなちくしょうと思うことが時々、というか結構ある(「俺よ、今はまだいいが、十年後はどうする……」)。しかし、おそらくはこれも罪深い自分に天が与えてくださっている学びの機会なのだと思って、おとなしく哲学の学びにいそしむべきなのかもしれぬ。それにしても、「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむ」か。うむ……