イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の主張

 
 ところで、真理を「真なる命題の集合」に限定して考えるという真理観は、『論理哲学論考』を書いた時期のウィトゲンシュタインのものでもあったように思われる。少しだけ長いが、彼の言葉を引用してみることにする。
 
 
 「語りうること以外は何も語らぬこと。自然科学の命題以外はーそれゆえ哲学とは関係ないこと以外はー何も語らぬこと。そして誰か形而上学を語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あなたはその命題のこれこれの記号にいかなる意味も与えていないと指摘する。これが、本来の正しい哲学の方法にほかならない。」(『論考』六・五三、岩波文庫版、野矢茂樹訳より)
 
 
 このような見方が仮に正しいとすると、哲学に残されている仕事はほとんどなく、今まで哲学が行ってきたと思われていたことは、命題を明晰化するといった一部の「地味な」仕事を除けば、ほぼすべてが誤謬であったということになってしまうのではないか。『論考』を書いた時期のウィトゲンシュタインにそう尋ねたとしたら、おそらく彼は「いや、だからそう言ってるじゃないですか」とかそういう類の返答をすることだろう(極度の偏屈ゆえ、返答が全くない可能性も十分にありうるが)。
 
 
 ダメ押しのようにして、先に引用した部分に引き続いて、ウィトゲンシュタインはこう言っている。
 
 
 「この方法はそのひとを満足させないだろう。ー彼は哲学を教えられている気がしないだろう。ーしかし、これこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。」(同上)
 
 
 つまり、ウィトゲンシュタインは「そしたら哲学にやることなくなっちゃうじゃん」というわれわれの不満を、前もって予想しているわけである。いわば、哲学的には大変にセンセーショナルな問題発言をこの本の結論部分にぶっ込んでいるわけであるが、そういうヤバいことをサッと言ってパッと去るというのが、当時二十代の終わりを迎えていたこの青年が到達したスタイル、すなわち、「哲学の暗殺者スタイル」であったようである。
 
 
 
論理哲学論考 ウィトゲンシュタイン 自然科学 哲学 岩波文庫 バートランド・ラッセル ナンセンス ヒューム ランボー
 
 
 
 急いで先に指摘しておくと、「ゆうて、そんなことを言ってる当のウィトゲンシュタイン自身が、語れないはずのことを語ってるんではないのか、『論考』の叙述の最後の辺りなんかは特に、お主の言ってること自身を裏切っとろう」というツッコミは、十分にありうる。このツッコミは、それこそ『論考』に序文を付けたバートランド・ラッセルの指摘以来、あらゆる読者の脳裏をよぎらずにはいないものであるが、そもそも当のウィトゲンシュタイン自身が、この点については逃げみ隠れもせずに明言しているのである。
 
 
 「私を理解する人は、私の命題を通り抜けーその上に立ちーそれを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない)。私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。」(同書、六・五四)
 
 
 ここまで読んできて、それをしっかりと理解している読者ならば、わたしの命題がナンセンスであることは分かるだろう。そうだ、それらは全てナンセンスだ。私の言っていることを葬り去れ。語られうるものの世界に、すべてが明晰に語られるものの世界、ただし、それ以上のことは決して何ひとつ語られることを許されることのない世界に、ようこそ。
 
 
 今回、久しぶりに『論考』を読み返してみて、これってめちゃくちゃキザではあるが、二十代の哲学者が到達しうるクールの極限ではあるのかなと思わされた。その位の年代だとまだ、正攻法で行くなら本当に深いことを言う準備は整わない。ヒュームとかウィトゲンシュタインとか、そういう「斜めから攻める」系の哲学に取り憑かれている者にしてはじめて、若書きの大胆な文章を、そして、危険なほどまでにラディカルな否定を哲学界に叩きつけるといったことも可能となるのであろう。
 
 
 前期ウィトゲンシュタインって、詩人でいえばランボーみたいな伝説の天才系キャラに当たるのであろうなあ……と、こういう人物が時々現れ出てくる哲学史の不思議さに心を打たれずにはいられないのである。最後はだいぶ感想めいたことを思うままに書き連ねてしまったが、ここから上記のような立場の検討に取りかかることとしたい。