イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ロングセラーは信頼できる

 
 論点:
 階段は、利便性と効率性においても優れた移動手段である。
 
 
 階段についての考察を続けよう。同じ高いところに移動するのに、ハシゴと階段のどちらが楽であるかといえば、後者の方であるのは明らかである。階段は足だけで上り下りすることができるけれども、ハシゴを使うためには手と足の両方が必要であり、しかも、上り下りしている間はその動作に集中していなければ身の安全すらも危うい。そして、階段よりもスロープの方が確かに楽は楽なのではあるが、スロープだとあまり傾斜を付けすぎるわけにもゆかないため、今度はあまりにも面積を食いすぎるという欠点が生じてくる。
 
 
 つまり、階段とはおそらく、高低差のある場所から場所へと移動する際の手段として人間が生み出した、もうこれしかないんじゃないかというくらいの傑作中の傑作ともいえる発明なのである。
 
 
 確かに、エレベーターが登場したことによって、階段の一人勝ちは揺らぎはした。しかし、エレベーターだと待ち時間があるという構造上のデメリットもあるし、少し上り下りするくらいだったら階段の方が手っ取り早いゆえ、人類の文明から階段の出番がなくなるということは決してないであろう。
 
 
 この問いを問い始めてからあらためて気づいたけれども、人間のいるところには必ず階段があるといっても過言ではないくらいに、われわれは至るところに階段を配置しながら生活しているのである。試しにそれとなく意識しながら散歩してみるならば、おそらくは読者の方もこれまで意識したことのなかった大小さまざまな階段の存在に気づかれることと思う。ちなみに、筆者が個人的に気に入っているのは、よく家の入り口とかちょっとした段差とかにちょこんと配置されている、二段か三段くらいのプチ階段ちゃんたちである。
 
 
 
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 論点:
 長きにわたって使われ続けているものは、信頼できる。
 
 
 哲学の学びについてもこれは言えることであって、たとえば筆者ここ最近では『パイドロス』を読んだけど、二千年以上前に書かれた本であるとはいえ、今の大学の哲学の講義であっても『パイドロス』を一学期間読むというだけで立派に講義の体をなすであろうことは間違いない。哲学の勉強をするにあたっては売れ筋の哲学書籍よりも断然プラトンアリストテレスの本の方がためになるというのは、ほとんどの哲学者の同意するところであろう。
 
 
 筆者が数ある哲学の語彙の中でも「存在」こそは最重要かつ最も深遠なものの一つであると考えるようになったのも、この語がこれまで、哲学史の中でめちゃくちゃ大事なものとして扱われ続けてきたという事情も大きい。
 
 
 存在ってなにもハイデッガーがこれこそ大事って言い始めたものではなくて、パルメニデス(そして、その重力圏域下にいるプラトンアリストテレス)やトマス・アクィナス(そして、彼に至るまでの長大なスコラ哲学の伝統)といった先人たちがそれこそ二千年以上にわたって哲学の中核に据え続けてきた、パワーワード中のパワーワードなのである。まさしく「ある」、あるいは存在という語をめぐる人類の思索の歴史は階段と同じくらい、あるいはひょっとしたらそれよりも古いものであると言えそうであるが、それはともかくとして、とにかく長い時期にわたって使われ続けてきたものは、使っておいて損はないということを、今回の記事の結論としておくこととしたい。