イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

今年の歩みを振り返る

 
 年も終わりなので、今回は問題の考察をいったん中断して、今年の歩みを振り返っておくこととしたい(次回からは、また考察に戻る予定である)。
 
 
  2015年に開始したこのブログでは、2019年の2月頃から本格的に哲学の問題に取り組むことを始めて、今に至っている。これまで既にさまざまな論点を扱ってきたけれども、特に、今年の6月から真理の問題を、10月から他者の問題を扱っている最近の流れに至って、筆者自身、自分の哲学が最初の重要な時期にさしかかっていることを実感している。
 
 
 筆者にとっては「存在の超絶」とでも呼ぶべきイデーが問題の考察を導いてゆくべき指導理念であることが、ますます明らかになってきた。この理念それ自体は、このブログには昨年の12月に初めて姿を現したけれども、これからも手放すことのできないものであり続けることは間違いないものと思われる。
 
 
 筆者は今年で35歳になったが、年齢的に言って、哲学者でいえば、そろそろ「自分自身の哲学」なるものの輪郭が初めてはっきりと見えてくる時期にさしかかっている。哲学者としては、まさにセオリー通りの人生航路をたどっているということになるのかもしれないが、来年も引き続き、「存在の超絶」の観点から一貫した哲学を作り上げるという課題に取り組まなければならない。今のところ、日々大いに苦闘しながらではあるが、一定の成果を得られているという実感はある。それにしても、自分自身の哲学を作り上げるとはかくも労を要する作業であったのかということを、今さらながら痛感させられている次第である。
 
 
 
存在の超絶 2021年
 
 
 
 というわけで、哲学的に見れば前にもまして妥協のないものに次第に到達しつつあるという感覚がないわけではないのだが、その分、記事の叙述の方もますます難解なものになってゆくことは避けられないようである。
 
 
 難解なものを書くことが許されるのは、その難解さが、事柄そのもののうちに宿っている尊厳にまで辿り着こうとする努力から生まれている場合だけであろう。いたずらに分かりにくい表現を用いることは避けなければならないが、事柄そのものの方が思惟と表現の労苦を人間に要求してくる場合には、妥協するわけにはゆかない。
 
 
 このようなブログにも読んでくださっている方がいることには、本当に感謝するほかない。今の筆者は、たとえ読む人が一人もいないとしても問題そのものを追求しなければならないと思える心境にようやく達したけれども、それでも自分のしていることがほとんど理解されないまま終わるのかもしれないと思う時には、少なからず苦しさを感じる。おそらく、たった一人でも読んで何かを感じてくれる人がいるとするならば、筆者のしていることには意味があるのだろう。来年も引き続き本物の哲学がここにあると請け負えるように最大限の努力は惜しまないつもりなので、もしよかったら、お時間のある時にでも覗いていただけたら幸いである。読んでくださっている方々の2021年が、実り豊かなものであらんことを!