イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

哲学の歴史と「存在」の問題圏

 
 ハイデッガーが設定した「存在の意味への問い」そのものに移る前に、哲学がこれまでこの「存在」なる問題とどのように向き合ってきたのかについて、短く振り返っておくこととしたい。二千年以上続いてきた哲学の営みにおいて、存在するという動詞が鳴り響いた時は、主に言って三つある。その三つの時を、現代から遡りつつ見てみることにしよう(今回の記事は哲学の歴史についてごく大まかな見取り図を得るためのものであるので、「まあ、そういうものか」くらいに思っていただければ、それで記事の役割は果たされている。叙述が簡潔なものになってしまうことをご容赦されたい)。
 
 
 ①まずは、これから論じようとしている『存在と時間』出版の衝撃に始まった、1927年以降の時期である。すでに述べたように、ハイデッガーの「存在の思索」は、その深い理解者にして最も痛烈な批判者であるエマニュエル・レヴィナスによって批判されたけれども、それは彼による「存在すること」への「存在するとは別の仕方で」の対置によって、存在問題のさらなる掘り下げという成果を生んだ。ハイデッガー哲学の影響は、二十世紀後半のフランスにおいては特に大きかったが、「存在」の問題が今世紀に入ってからどのような展開を見せるのか、その正確な見通しを持っている人間は、まだ誰もいないものと思われる。
 
 
 ②ハイデッガー自身は彼の意図に基づいて、黙してほとんど語らないけれども、ボエティウスに始まり、トマス・アクィナスにおいて一つの比類ない頂点を迎える中世哲学の時代は、「存在すること」の問題が大きく掘り下げられた、偉大な時期であった(実は、ハイデッガーの教授資格論文は、この時代の哲学をめぐって書かれたものである)。ハイデッガー自身も用いている「実存」の語のもとになった「エクシステンティア」を初めとして、私たちが存在問題について語る際の語彙の多くは、この時代に練り上げられていったものである。この時代については、哲学が、語るべきものをいまだ多く残していることは確かであろう。
 
 
 
ハイデッガー 存在 ボエティウス トマス・アクィナス エクステンティア パルメニデス エレア派 エンペドクレス アリストテレス ある 実体 ミレトス学派
 
 
 
 ③最後に、古代である。この時期は、哲学という営みそのものの始まりを考える上でも、特に重要なものである。
 
 
 パルメニデスによって、ほとんど黙示的とも言えるような仕方で語られた「あるはある」、あるいは「存在が存在する」のテーゼは、古代の哲学者たちに絶大なインパクトを与えずにはおかなかった。エレア派やエンペドクレスといった直接の影響のみならず、おそらくは、「本当の意味で存在するものとは何か」と問うてイデアという見解に達したプラトンや、その後も長く哲学に取り憑き続けた「実体」の概念を生んだアリストテレスといった人々もまた、いわば「パルメニデス・ショック」の巨大な影響のもとで思考していたと言ってよいのではあるまいか。
 
 
 そればかりではない。そもそも、ミレトス学派の人々に端を発する哲学の元初それ自体が、「ある」に至る長い道のりであったという見方を取るならば、哲学の営みそれ自体が、人間が「ある」の衝撃に撃たれ、「ある」を言葉として発しつつ、「ある」の内実を問うていった、その過程に起源を発していると言えるのではないだろうか。
 
 
 神話的世界観から合理的世界観への転換、あるいはアテナイ民主制の影響など、哲学の起源についてはすでに多くのことが語られてきたけれども、何よりも、人間存在を襲った「ある」の衝撃こそが、この営みをこの営みとして開始させた「起源の一撃」だったかもしれないのである。付け加えておくならば、すでに近年の哲学史研究の動向もまた、この方向での事柄の解明に向かって舵を切りつつあるように思われる。「存在」の問題がかくも哲学それ自体にとってクリティカルなものであることを確認しつつ、ハイデッガーが問うた「存在の意味への問い」に戻ることにしよう。