イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「伝統を根源的にわがものとすること」:ハイデッガーの真理論と「言葉の原初」

 
 「言明が真であるとは、覆いをとって発見するということである。」ところで、ハイデッガーのこの主張に対しては、次のような反論がなされることは避けられないものと思われる。
 
 
 ハイデッガーへの反論:
 哲学のこれまでの伝統を、そんなに簡単に振り捨ててしまってよいのか?
 
 
 反論者は言うであろう。アリストテレスの時から言うならば、「物と知性との一致」は二千年以上にわたって、私たちの真理観を規定してきた。その現代版である「命題と事態との一致」にも大きな問題があるとは思われないのであって、現に分析哲学の人々などは、2021年の現在においても、真理の現象についてはこの定義で問題なしとしているのである。
 
 
 この真理観についてはトマス・アクィナスもカントも、そして、ウィトゲンシュタインも、いわばノータッチで済ませてきたわけだ。いま急に「覆いをとって発見すること」が真理の根源的な現象であると言われても、我々としては正直、戸惑わざるをえない。
 
 
 「覆いをとって発見すること」という論点に、何かがあることは認めよう。「反実在論ハイデッガーの真理論」というタイトルを付けてみるなら、シンポジウムの一つでも開けるかもしれん。しかし、「覆いをとって発見すること」を「真理の根源的な現象」とまで呼んでしまうのは、やはりいささか勇み足というものではないか?「命題と事態との一致」で何が問題なのか。二千年間の伝統というのはやはり、それなりの必然性があることは確かなわけで、哲学者たちとしてはいきなりそんな「ぽっと出」の概念に、真理現象の座を明け渡すわけにはゆかない……。
 
 
 このような反論に対してハイデッガーが提出したのは、次のような主張にほかならない。
 
 
 ハイデッガーの主張:
 「覆いをとって発見すること」を真理の根源的な現象とすることは、二千年間の伝統を振り捨てることではない。かえって、それを根源的にわがものとすることなのである。
 
 
 つまり、「物と知性との一致」、あるいは「命題と事態との一致」というイデーに問題を感じることなく、ノータッチで済ませてきたこれまでの哲学の歴史は、「覆いをとって発見すること」へと遡ってゆくことによって、はじめてその根源に到達するというのである。この根源の方から、「一致」という真理観が派生してくる必然性もまた、ひるがえって理解されるであろう。「一致」は退けられるのではなく、今やはじめてその十全な意味を、事柄の内奥から獲得する。それと共に私たちは、これまで当たり前のものとして通り過ぎ続けてきた「真理」という言葉に、電撃のようにして打たれることになる……。
 
 
 
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 この辺り、ハイデッガーが二千年以上にわたって誰も手をつけていなかった所に向かって全力で突っ込んでいっているのを見ていると、「さすがに、それは無茶なのでは……」という印象を抱く人が出てくるのも、無理からぬことかもしれない。
 
 
 ただし、破天荒なのではあるが、決して意味もなく破天荒だというのではなく、読めば読むほどに「これってひょっとすると、その通りなのではないか……?」と思わせずにはいないのがハイデッガー哲学の根本性格なのであって、修練を積んだアカデミシャンであればあるほど彼の言っていることを真面目に受け取るようになってゆくという驚くべき逆説が成立するのも、このゆえなのであろう。単なる「怪しげな人」ではないのである。「この上もなく怪しげであることは明らかだが、にも関わらず決して無視することのできない、筋金入りの実力者」なのである。
 
 
 目下の話題について言うならば、言葉が存在するという驚くべき事実を驚きなしに受け入れてしまったならば、「命題と事態との一致」から抜け出る必然性はなくなってしまう。ハイデッガーが目指すのは、言葉が語りはじめられる最初の瞬間、その原初へと遡っていって、そこでもう一度、言葉の未曾有の働きを発見しなおすことである。すなわち、人間はそこで言葉を語り出しながら、何事かを見いだす。そこでは、言葉を語るということが、そのまま真理を語ることであるはずなのである。
 
 
 「私たちが本来的なしかたで〈言葉 λόγος〉を語るということは、真理を語ることにほかならないのだ!」原初の哲学はこのことに対する奥底からの驚きのただ中で始まったのであって、論理学も「物と知性との一致」も、その「はじまりの衝撃」から生まれてきた成果であるはずなのである。このことを証示するために、ハイデッガーは「原初の哲学者たち」の一人である、ヘラクレイトスの断片の言葉に耳を傾ける。私たちもハイデッガーと共にヘラクレイトスの断章に向き合いつつ、言葉なるものを「哲学の原初」において捉え直すように努めてみることにしよう。